週初(17日)、ニューヨークへと向かった。
ジムの墓前に花と誓いの言葉を手向けるためである。
クイーンズにある墓地にはジムの妻・カレンが付き添ってくれた。
彼女とは銀行のクリスマス・パーティーで一度だけ会ったことがある。
やっと一人歩きし始めたばかりの彼の愛娘、ステイシーが彼女の傍らにいる。
父親が死んだことの意味を深く理解していないのか、母親に手を繋がれた幼子は何故か嬉しそうだ。
暫く歩くと、カレンが「ここよ」と言って、ジムの眠る墓の前で立ち止まった。
墓前に花束を手向けると、目を瞑りながら、
「二人のことは任せておけ。そしてお前の仇は必ず俺が取る」と誓った。
カレンは小さな声で祈りを捧げ、その横でステイシーが同じ仕草をしている。
’痛ましいな’
それぞれに祈りを終えると、カレンが話出した。
「主人は貴方のことをとても尊敬していたわ。
‘自分は良いボスを持てて幸せだ’とも言ってた。
貴方がこっちにいる時は、‘銀行へ行くのが毎日楽しい’と言ってたぐらいだから、彼は本当にあなたや同僚の方達が好きだったのね」
「僕らはああいう環境の中で仕事をしてるので、どうしてもチームワークが重要なんだ。
彼はそのことを良く心得ていて、チームの成績が悪い時でも皆を元気づけてくれていた。
だから皆、彼のことが大好きで、本当に良いチームが出来上がったと思う」
「そんな彼の話を聞けて嬉しいわ。
ありがとう、Ryo」
「ところで、カレン。
仕事の当ては?」
首を横に振りながら、
「まだそこまで考えるほど、気持ちに余裕がないの」と言う。
「それはそうだな。でも考える気持ちの余裕が出来たら、僕に連絡をくれないか?
親子二人が食べて行くのに十分な給料を貰える仕事がある。
ただ、場所はコネティカットのオールドグリニッジだから、引っ越すしかないけど・・・」
‘ここはマイクに頼むしかない’
「ありがとう。
考えてみるわ」
「ああ、是非考えてほしい。
友人が運営している会社だ。
彼には相当儲けさせてるから、君の給料ぐらいは全く問題ない」
彼女の顔に少し笑みが浮かんだ。
ステイシーも母親のそんな顔を見てか、無邪気に笑う。
‘ジムが亡くなってから、初めて見る母親の笑顔なのかもしれない’
「Gimme a hug, Stacy」と言って、腰を下ろしながら手を広げた。
躊躇いもせずにステイシーは胸に飛び込んでくると、軽く頬にキスをしてくれた。
‘可愛い子だ。生前のジムはステイシーを見る度、娘にハグとキスを求めていたに違いない。
切ないな’
ハグが解けると、幼子は母親の傍らに寄り添った。
「カレン、僕はそこでタクシーを拾う。
連絡を待ってるよ」
「ありがとう。
わざわざ日本から来てくれただけでも嬉しいのに、私の仕事の話まで考えていてくれて、
貴方は本当にジムの言ってた通りの人だわ。
仕事、お願いすることになると思う。
その時はお願いね」
「Contact me anytime.
Take care!」
二人を乗せた車が墓地のゲートを出るまで見送り続けた。
二人と別れた後、タクシーを拾い、そのまま支店へと向かった。
一泊の予定なので、ホテルに預けるほどの荷物もない。
支店に行くことは、山下にも伝えていなかった。
突然ディーリング・ルームに現れた俺の姿を見て、皆唖然とした顔をした。
「突然、どうしました?」
山下が聞く。
「ジムの墓前に花を手向けに来ただけだ。
ついでに横尾に挨拶をと思って」
「挨拶って?」
「挨拶は挨拶だ。
まあ、ジムへの手向けは花だけじゃ淋しいからな。
アイツのテンプルに一発喰らわせて、市場部門から叩き出す。
上半期はもう何も数字を動かせないので何もできない。
下半期に入ったら、お前にも手伝って貰う」
「了解です。今日のお泊りは?」
「いつものアストリアだ。
明日帰る。
夜は何のケアも要らない。
ところでご家族はこっちに慣れたか?」
「はい、徐々にピックアップしている様です」
「そっか、それは良かった。
俺は今日アイツに一言残したらそのまま帰るから、見送りも不要だ。
今話した件、また東京から連絡を入れるよ。
それじゃ、奥さんによろしく」
そう言い残すと、横尾のデスクへと向かった。
「おう仙崎君、突然に今日は何の用だ?」
平然と言葉を発したが、内心は穏やかでないはずだ。
「何の?
そんなことはお分かりのはずでしょう。
僕の大切な友人が死に追い込まれた。
誰かのせいでね。
墓前に花を手向けに来るのは当然でしょう」
「誰かのせいって、誰のことを言ってるんだ?」
「今更、私に聞くまでもないでしょ。
あなたが一番知ってるはずじゃないんですか?」
「貴様、何の根拠があってそんなことを・・・」
横尾が伏目がちに顔を歪めた。
「根拠って物証のことですか?
あれがそうだとすれば、そうとも言えますが・・・」
横尾の顔がみるみると曇って行く。
‘ここは、相手に不安を与えておくだけで十分だ。
きっと俺が帰った後、支店長室に駆け込むに違いない’
「勿体を付けやがって。
用件がないのなら、さっさと帰れ。
こっちは仕事で忙しいんだ」
「仕事?
ポジションでも凝ってるんですか、それとも支店長に頼まれた何かの代筆仕事ですか?
それはそれとして、今日は伝達事項があって、ここに寄らせてもらいました。
下半期からは部全体の収益もさることながら、ディーラー個人の収益もしっかりと管理させて頂きます。
もちろん、横尾さん、トレジャラーであるあなた自身の収益もね。
外銀と違って、邦銀ではややもするとその点が曖昧になりがちですが、今後は許されません。
もっとも、日和のエースだった横尾さんに限ってバジェット未達なんてことはないでしょうが。
これは本部長の方針ですから、宜しくお願いしますね、トレジャラーの横尾さん」
テレビドラマの様なクサイ言い回しだが、ジムの無念を込めて念を押す様に言い放った。
二の句が継げないのか、右手の甲をこっちに向けながら振った。
もう帰れと意味だ。
こっちを心配そうに見つめる山下に、thumb up しながら、ディーリング・ルームを後にした。
支店が入るビルを出ると、曇ってるせいもあってか、5時過ぎだと言うのに結構暗くなっていた。
パークアヴェニューを南北に走る車の半分はヘッドライトを点灯している。
改めて見るそんな光景は実に美しい。
‘やはり、こっちは良いな。
戻ることはあるのだろうか?’
週初に112円を挟んでうろうろしたいたドル円相場は、週末の金曜日に(21日)1月以来の高値水準となる112円88銭へと上昇した。
IMFが7月に公表した「貿易戦争に関する国際的な影響」関する資料によれば、最悪のシナリオで米国のGDPは1年目で0.8%減、世界では0.4%減である。
過去最高水準に上るNYダウ、それに連れるかの様に日経平均株価も高値を追う。
ひと頃はトランプが中国への追加関税発動を示唆する度にリスク回避に走った市場だが、今リスクを無視し出した。
円売りドル買いに動き出した為替市場、高値を追いかける株式市場、阿鼻叫喚の修羅場が近いのかもしれない。
リーマンショックから丁度10年の時が流れた。
‘身を引き締めなければ’
そんな内容を連ねた雑文を書いた後、「来週の予測レンジ:110円50銭~113円40銭」を文末に添えるのを忘れなかった。
いつもの国際金融新聞の木村へドル円相場予測である。
outlookの「送信」にマウスのポインターを合わせると、ゆっくりクリックした。
その瞬間、ウィスキーグラスの中の氷がカタっと音を立てながら琥珀色の液体を揺らした。
(つづく)
この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。