火曜(12日)、10時40分羽田発JL006便でニューヨークへと向かった。
便はJFK(ケネディー空港)に10時35分に到着した。
ほぼ予定通りの到着である。
空港建物から外に出ると、タクシーを拾い、運転手に「Waldorf」と告げた。
JFKのあるクイーンズ地区とマンハッタン地区(島)とを繋ぐミッドタウン・トンネルで渋滞に巻き込まれ、ホテルまでは1時間半近くもかかってしまった。
’ウォルドルフ=アストリア´は内部のしつらえが金持ちが好みそうなアールデコ調で好きではない。
だが、支店がホテルから2ブロックのところにあり、利便性を優先した。
チェックインを済ませ、部屋に入ると人心地がついた。
そんなときにミニバーに向かうのは長年の習性である。
ミニバーからマカラン18年のミニボトルを取り出すと、琥珀色の液体をグラスに注ぎ終えた。
その液体をゆっくりと舌で転がしながら喉へと送り込む。
マカラン18年特有の滑らかな舌触りと喉越しが良い。
勝手にミニバー付きの部屋を選択したが、今回の出張は支店勘定だ。
2本目のボトルをミニバーから取り出すと、ソファーに座り、山下に電話を入れた。
「さっきホテルに着いた」
「お疲れ様です。
今晩はどうします?」
「おい、いきなり今晩の話か。
いや、何も構わなくていい。
勝手知ったる場所だから、適当にやるよ。
明朝、会おう」
「そうですか。
米朝会談で相場も大きく動きませんでしたが、こっちの連中は総じて‘やっぱりな’という印象を持った様です」
「俺も機内のテレビで大体の様子を見ていたが、‘トランプの、トランプによる、トランプのための政治ショー’って感じだったな。
まぁ、米朝騒動はどうでも良い。
それよりも、貿易摩擦と日米欧の金融政策の跛行性が当面の問題だろう。
いずれにしても、仕事は明日から始める。
宜しく頼んだぞ」
「了解です」
その晩は外出もせず、夕食もラウンジバーの軽食で済ませた。
ラウンジ・ピアニストが奏でるジャズ風にアレンジしたバラードが心地いい。
翌日、7時にホテルを出た。
アストリア・ホテルの番地は奇数番号の301 Park Avenue、支店も奇数番号の5XX Park Avenueである。
南北に走るAvenueでは、通りの東側の番地は奇数であり、ワンブロック北に上がるごとに100番ずつ増える。
支店はホテルと同じサイドにあり、歩いて数分のことろだ。
ホテルから支店までの間に幾つかのベンダーが並んでいる。
一つのベンダーでコーヒー、それにクリームチーズとブルーベリー・ジャムを挟んだベーグルを調達した。
支店のあるビルに着くと、セキュリティー・チェックで山下が待っているのが目に入った。
見慣れた笑顔を浮かべながら、
「お早うございます」と言う。
「暫くぶりだな。
また少し太ったか」
とからかった。
「まぁ、食いものが食いものですし」
体重増を隠そうともしない。
支店は20階と21階を使用し、ディーリング・ルームは21階にある。
リテール(窓口業務)は行っていないので、路面店舗はない。
21階に着き、エントランス・エリアに入ると、受付に2名のセクレタリーがいる。
20歳代半ばのジェシーと50歳前後のナンシーである。
二人とも相変わらず元気そうで、ハグで迎えてくれた。
受付の先を右に曲がり、通路を20メートルほど進むと左手にディーリング・ルームが広がる。
手前に為替部門、そしてその奥にマネー部門がある。
まだニューヨークを離れて1年程しか経っていないせいか、ローカル・スタッフ達は気軽に声を掛けてくる。
転勤族の若手は皆、近づいてきて挨拶をする。
時間が早いせいか、まだ年長の転勤族の姿はない。
‘彼らへの煩わしい挨拶をしなくて済む’
早速、山下のデスクの横に座った。
山際のデスクである。
さっき買ってきたベーグルを食べながら、山下に状況を聞くことにした。
「ところで、山際さんの体調はどうなんだ?」
「精神的にも大分参っている様で、ディーリングどころではないですね。
昨日から有給休暇をとっています。
東城さんからの命令の様です」
山際の体調のこともあるが、彼が支店で勤務していると俺がディーリングをできないのだ。
本店の人間が稼いだ収益を支店の収益とした場合、それは本店からの利益供与に当たり、税金の問題が生じる。
山際が病気療養で休暇をとり、そのカバーで俺が出張し、その間に稼いだ分であれば、支店の収益としても問題はない。
そのため、東城に山際を休ませる様に頼んだのだ。
「それで、幾ら稼げばいいんだ?」
「例の清水支店長からの話がなければ、このところの山際さんのヤラレだけです。
つまり、200万ドルほどでしょうか・・・」
「そっか、その程度なら、そんなに時間はかからないな。
ところで、デスク本来の収益は順調なのか?」
「はい、ほぼバジェット通りです」
「分かった。
清水さんは今、本店の会議で出張中だ。
そこで頭取が清水さんに今回の話をする予定だから、例の件は心配いらない。
とりあえず、200万ドルを稼ぐことにする」
「了解しました。
課長がいると、何でもできそうですね」
「甘えるな!
そんなことじゃ、この先持たないぞ。
7月に入れば、スイスの横尾さんが来る。
彼は仕事はできるが、人間性に問題があると聞く。
気を引き締めておいた方が良い」
山下のために、少し厳しい口調で言った。
彼は素直にそれを受け入れた様だ。
「さて、仕事に取り掛かるとするか」
「はい」
13日(水曜日)のニューヨークの午後、FOMCでFFレートの目標値が0.25bp引き上げられた。
利上げは大方の予想通りだったが、政策金利見通し(ドットチャート)で年内の利上げ回数が4回に上方修正されたことでドルが買われた。
ドル円は直前の10円台半ばから急騰している。
「山下、売れるだけ売ってくれ!」
一瞬の急騰・急落では、かなり特別な与件でない限り、相場の動きと逆のポジションを取る方が有効だ。
「75で20本、81で10本、あっ、急落しました」
「もう追うな。
おれも76で10本しか売れなかったが、もういい」
’合わせて、50本だけだが、一瞬の変化での深追いは禁物だ’
「上は85(110円85銭)までです」
「今いくらだ?」
「35around(110円35銭程度)です」
「全部買い戻してくれ」
‘肌感覚で下がらない感じがする’
「アベレージ、42です」
「了解。
ドル円は動きづらいな」
「そうですね」
「ところで、顧客のリーブ・オーダーは大丈夫か?」
「EBSとブローカーに置いておきましたから、問題ありません」
「そっか、それは良かった。
今日はもう止めておこう」
‘利上げ回数の上方修正はそれほど大騒ぎすることではないが、FEDがいよいよ引き締めモードに入った様だ’
その後のドル円は109円92銭まで下落したが、どことなくドルに底堅さが感じられる。
14日(木曜日)、ECBの理事会で「年末で資産の新規購入を停止する」と発表され、ユーロドルが1.17台から1.18半ばまで上昇した。
だが、その直後に「マイナス金利は少なくても来年夏まで維持」との報道が流れ、一挙に1.15半ばへと反落した。
ドル円もこれに連れて上昇モードに転じ、週末には110円90銭まで反発した。
ユーロドルのディールは全く乗り切れず仕舞いだったが、ドル円は揉み合いの中でそこそこの収益を上げた。
‘目標の200万ドルには遠いいが、来週から頑張るか’
週末の晩、グランドセントラル駅地下にあるオイスター・バーで山下と夕飯を共にした。
週末ということもあってか、結構混んでいる。
注文は山下に任せた。
オフィスにいるときよりも、レストランでの英語の方が上手く聞こえる。
’食い意地の張った山下らしい’
白ワインで数種類のオイスターを味わった後、支店の話に戻った。
「山下、どことなく店の雰囲気が暗いが、何かあったのか?」
「コーポレート・ファイナンス部門が別のコゲツキを出したらしいんです。
それで支店長が他部門にプレッシャーを掛けている様です。
それが原因かと」
「今度のは大きいのか?」
「1000万ドル程度とか」
「前の2000万ドルと合わせて、3000万ドルか・・・。
他で大き収益が出てないとすると、結構厳しい金額だな」
「そうですね。
山際さんへのプレッシャーの掛け方も異常でした。
誰の目から見ても完全にパワハラそのもので、
部屋に呼んで言うのならともかく、ディーリング・ルーム全体に聞こえる様な調子でしたから」
「そうか。
それじゃ、山際さんも辛かったはずだ。
話が暗くなったな。
今日は飲むか!」
「そうしましょう!」
昨晩飲み過ぎたせいか、ジェットラグの影響が出たせいか、翌日(土曜)の昼過ぎになっても頭が重い。
やっとの思いでベッドから出ると、国際金融新聞の木村へ来週のドル円相場予測を送るために、PCをWifiに接続した。
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木村様
今、ニューヨークに出張中ですので、簡単に済ませます。
市場が米欧の金融政策の逆行性を材料視しているので、まだユーロドルが下がりそうですね。
日米の金融政策も同様のことが言えますが、本邦の輸出や一部機関投資家がドル売り意欲を示しているので、ドル円の伸び代はそれ程大きくない気がします。
来週の予測レンジ:108円80銭~111円80銭
IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎了
追伸
テレビ国際の出演は当分、部下の沖田に任せることにしました。
(つづく)
この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。