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第10回 「約束」

ここからは右手に見える上高地線に沿って走り抜ければ、松本の市街地に着く。
少しずつ、車の運転にも余裕が出始めてきた。
心に平静が戻ると、Fredrick Packers のデイパックに入れて置いた数枚のCDからブラインドで一枚を取り出した。
引き当てたのは車を快適に飛ばすときには相応しくないBill Evans の ‘You must believe In Spring‘だった。
ただ、スピードを出せない今の道路状態には持ってこいのアルバムだ。
とりあえずCDをジャックに押し込むと、’B Minor Waltz ‘が流れ出した。
時に人を切なくさせ、時に荒んだ人の心を慰めてくれる曲である。
聴いた回数は数え切れない。
ジャズファンならずとも、聴いた人は心を打たれるメロディーラインである。
アルバムの二曲目に挿入されているタイトル曲よりも、この曲をトップに持ってきたところが良い。

トラックが進みアルバムの最後から二番目に挿入された’Some Time Ago’ が聞こえてきた頃、車は篠ノ井線の線路下に差し掛かった。
いつも渋滞する場所だが、天候のせいもあり、余計に時間がかかってしまった。
でも、焦る必要はない。
10分もすれば、目的の駐車場に着く。
松本の市街地に来るときの駐車場は、パルコと大通りを隔てて反対側にある伊勢町のパーキングと決めている。
好んで訪れるカレー店やコーヒー店へのアクセスが良いからだ。
アルバムも終わりかけた頃、パーキングに着いた。
便利の良い駐車場だけに混んでいて、いつも螺旋状のパスを幾度も回ることになる。
今日も6Fまで登らされてしまった。
空きスペースに車を入れて時計を見ると、3時15分前である。
何を話すか、少しだけ考えをまとめておく必要があった。

‘岬の今の心境について話すべきか、8年前のすっきりしなかった別れへの言い訳について話すべきか’、まったく考えがまとまらない。
そうこうしているうちに時間がきた。
近くの駐車場に着いた旨のメールを入れ、‘5分後に店の前で待っていてくれ’と告げた。
車を降り、駐車場を出ると、直ぐ左手にある一方通行の道を歩き出した。
その道の右側50メートルほどのところに岬の母が営むクラフト店はある。
付き合っていた頃、一度だけ訪れたことのある店は江戸の裏座敷的存在の松本に相応しい佇まいだった記憶がある。

30メートルほど歩いたところで、ゆったり目の白のプルオーバー、裾を巻き上げたカーキ色のチノ、白のスニーカー、という出で立ちの細身の女性が眼に入った。
岬である。
少し微笑んでいる様にも見える。
ボブにカットした髪を揺らしながら、こっちを向いて手を軽く振っている。
少しやつれたのか、やや痩せた感じを受けるが元気そうだ。
岬も小走りにこっちに向かっくる。
そして二人の距離が一挙に縮まったとき、いきなり彼女が胸に飛び込んできた。
額を胸につけ、泣きじゃくりながら両手の拳で肩甲骨の下辺りを叩き出した。
あまりの力強さに「うっ」と声を上げると、「ごめんなさい」と言いながら後退りした。
目から止めどなく涙が溢れ出している。
「そんな顔じゃ、美人も台無しだな」と言いながら、ジーンズの後ろのポケットから少し皴になったハンカチを取り出し、
彼女に渡した。
「ありがとう」と涙声で言う。
そして、「了、少し待ってて。母が外出しているので、店の戸締りをしてくるから。それから化粧も直してくる」と言って店の方に走って行った。
その後ろ姿に向かって、
「ああ、それじゃ、俺は車を例の駐車場の脇に止めて待っているから、そっちに来てくれるか。車は四駆、カラーはブラックだ」と少し大き目の声で言った。
「はい」と言いながら、岬は暖簾をかき分けて店の中に消えていった。

車をパーキングから出し、数分待っていると、ラベンダー色の傘をさした彼女が現れた。
「どこへ行く?」
「城山でも良い?」と聞く。
「俺は構わないけれど、また雨が強く降るかも知れない。それでも良ければ」
城山は市街の北西部の高台にある公園である。
さもない公園だが、展望台にもなっていて、天気次第では北アルプスも望むことができる。
コーヒーとカレーが評判のギャラリー兼カフェが隣接しているのが良い。
20分も走った頃、公園の駐車場に着いた。
いつ雨が降り出してもおかしくない空模様だが、今は幸いにも上がっている。
「少し歩くか?」
「ええ」
「元気なのか? 少し痩せたみたいだけど・・・」
「うん、体はどこも悪くないの。でも、ここ何年も、心がだめみたい」
「詳しい事情は分からないが、山下から凡その話は聞いている。もうご主人とはどうにもならないのか?」
「ええ、とても一緒に暮せる様な人じゃないわ。
省(財務省)では優秀で、間違いなく次官までは行く人だと言われているそうだけど、人間性は・・・。
異なる環境で育った二人が一緒に暮らせば、夫婦だって日々の行動や会話が気になるのは当然よね。
だけど、彼は常に自分が正しいと思ってる。
だから、私のどんな些細な落ち度も許さないの」
岬が気丈なのは知っているが、決して頑固ではない。
だから、些細な落ち度を指摘されれば、その都度、夫に詫びを入れていたに違いない。
そんな卑屈な毎日の連続では、身も心も持たないのは当然だ。

暫く園内をゆっくりと歩くしかなかった。
悪天候のせいか、あたりには誰もいない。
「なあ、岬」
「何?」
「あのときのこと、まだ怒ってるのか?」
曖昧な別れ方をしたことを聞いたつもりだ。
「いいえ、あれは私も悪いの。というより、一言、あなたに声をかけておけば良かっただけのこと。
‘まだ愛してる?’ってね。
でもね、あのときの了は近づけないほど怖かったのは事実よ。
だから、ソーっとしておいたの」
「そうだったな、当時の俺は。でも俺があんな状態に陥ったのは、大きな損失を出しからじゃないんだ。
あの程度の金額なら、いつでも取り戻せる自信もあった。
ただ、上司が部下を罠に嵌める様な組織や、そこで働いている自分への嫌悪感もあって、退職を考えるまでになっていたんだ。
でも辞めれば、俺や姉を一人で育ててくれた母親を落胆させることになるし、岬との結婚も難しくなる。
ともかく悩み続けていた。
だから、あの時は誰とも話たくはなかった。
やはり、俺がそのことを素直に岬に言っておけば良かったんだ」
「そうね。二人共、悪かったってことね。
でも、あなたがニューヨークへ行った後、東城さんが言ってくれたわ。
‘まだ遅くないから、追いかけろ’って。嬉しかった」
当時、東條さんには岬と付き合っていることを話していた。
あの人らしい気遣いだ。
「それで何て答えた?」
「もう、‘ポジションは切りました’って答えたわ。
そしたら、東城さんは’ポジションを切ったとは、
さすが仙崎の彼女らしい表現だな’と言って笑ってた」
暫く間を置いたあと、その話の続きを始めた。
「そしてこうも言ってたわ。
‘長い人生、たまにはsquareも悪くない。
人間、ニュートラルになって考えることも必要だ。
だが当分の間、あいつのポジションはhead wind*だな。
いずれにしても、いつか二人のポジションにtail wind*が吹くことを祈ってるよ。
何か出来ることがあったら言ってくれ’と少し笑みを浮かべながら言ってくれた。
本当にいい人ね」
「ああ、良い人だ」

二人はその後も、何も言わずに歩き続けた。
すると、大粒の雨が降り出してきた。
二人は駐車場へと急いだ。
やっとの思いで車に辿り着き、助手席のドアを開けてあげると、
「了、強く抱きしめて」と岬が絞り出す様な声で言った。
右手を岬のうなじに回し、その身体を胸に引き寄せると、力強く抱きしめた。
雨ですっかり濡れてしまった白いプルオーバーを通して伝わる温もりに8年前の懐かしさが甦ってくる。
‘辛く、そして切ないポジションだ。暫くは head wind を受け続けるか’

その夜、‘野麦倶楽部’に戻ったときには8時を回っていた。
夕食の時間は過ぎていたが、主人に無理を言って、トーストとサラダ、それにビールを部屋に運んでくれる様に頼んだ。
「明日も釣りは無理そうですね。また時間ができたら、9月にでも来てください」
頼んだものを運んできた主人が、トレーをテーブルに置きながら申し訳なさそうに言う。
長野は9月の末で禁漁になる。
「そうですね。是非、そうしたいと思います」
ここに来れば、岬に会える。
そんな想いが脳裏を過った。
「それじゃ、ごゆっくりお休みください」と言い残して、主人はドアの方へ戻って行った。
「お休みなさい」

翌朝、奈川を後にして、ひたすら社宅のある神楽坂へとプラドを走らせた。
CDは‘ファビュラス・ベイカー・ボーイズ’を選んだ。
大人の切ない恋心を描いた映画のサントラで、デイヴ・グルーシンがプロデユースした傑作である。
切ない映画のサントラだが、車の運転を快適にしてくれるのが良い。

翌週初(7日)、先週末の7月米雇用統計が良かった割にはドルが戻さなかった。
北朝鮮絡みの地政学的リスクで、円が買われるのを恐れてか、市場はドルを買わない。
本来であれば、売られるべき通貨の円が売られない。
‘市場にすっかり刷り込まれた、有事の円買い’という、コンセンサスが妄信されているのだ。
‘それに逆らっても仕方がないな’

暫く相場を眺めた後、山下に話しかけた。
「山下、約束を果たした様だな。凄いな、お前の底力は。ここは調子の良いお前の通りにするよ」
「からかわないで下さいよ。でも、課長が先週話していた様に、ドルが下という流れは変わっていないようですね。例の8円台(108円81銭、108円13銭)を試す様な気がします」
「そうだな。それじゃ、50本売るか」
「20本は75(110円75銭)。30本は76でダンです」
相変わらず、良い手捌きだ。
「ありがとう。ついでに言っておくけど、お前との約束も守ったからな」
「はい、課長の顔を見れば分かりますよ、そのくらい。またそのうちにゆっくりと話を聞かせてもらいます」

翌日から、ドルは崩れ始め、週末には108円70銭まで落ちた。

週末の土曜日の午前中、社宅のベッドに寝転がりながら、来週の相場のことを考えていた。
自分で値動きを見ていなかったせいか、感触が湧かない。
チャートを見る限り、まだドルは底を打っていないし、あまりにも戻りが弱い。
8円13銭を抜けば、フィボナッチ水準の6円50銭程度まであるのかもしれない。
と言って、8円台・9円台は揉んでも不自然ではない水準だ。
迂闊にはドルを売れない。
とりあえずは、週初の様子を見るのが得策か。
‘久しぶりに神楽坂に出て、のんびりパスタでも食べることにしよう’
(つづく)

注:
*head wind:アゲインスト(向かい風)
*tail wind:フォロー(追い風)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第9回 「再会」

先週末に山下に今週の相場はどうかと聞かれ、「どこかでドルの下を試すと思う」と答えたが、週初(7月31日)から下値を試す展開となった。
だが、なかなか節目の10円(110円)を攻めきれない。行内からも月末絡みのドル買いが結構入ってきた。恐らく他行も同じ状況なのだろう。さらに投機筋の客も値頃感やにわかショートの利食いでドルを結構買ってきた。
翌日の東京でも10円を割り込めなかった。結局この二日間、イメージの湧かないまま、ジョッビングに徹する格好となってしまった。山下は「今週3本(3000万)稼ぐ」と豪語していただけに真剣そのもので、カバー・ディールをこなしながらも収益をこつこつと上げている様子である。俺はもう引き上げても問題なさそうな雰囲気だ。

「山下、みんな、明日から頼むな」と言い残し、帰ろうとすると、
「課長、例の約束は守ってくださいよ。僕は昨日・今日と、真剣にボードと向き合って、何とか半分稼ぎましたからね」と脅迫めいて言う。
「凄いな。それじゃいつも真剣にやれば、毎月大台(1億)だな。俺の肩の荷も大分軽くなるってわけだ」と笑いながらやり返した。
「まあ、頑張りますから、兎も角約束は約束ですからね。お気を付けて」
「了解」と言い残してディーリング・ルームを後にした。

その日の晩、宅配の寿司を肴にビールを飲みながらスクリーンに向かったが、暫くドル円は10円前半で凍り付いたままだった。ビールを三缶空け、そろそろラフロイグに切り換えようと思ったとき、ドルが急に下落し始め、10円を割り込んだ。だが、突っ込んでのドル売りは出ないまま、直ぐに10円台に逆戻りしてしまった。この展開は動けばやられる相場付きだ。明日はフライ・フィッシングや旅行の準備もある。拙いポジションを抱えて悩みたくない。何もしない決意を固めた。ただ、山に向かう前に先週作った12円(112円丁度)のショート50本の処理だけはしておきたい。ニューヨークの沖田に電話を入れた。夜中の12時である。

「今晩は」
沖田の明るい声が聞こえてきた。
「調子良さそうだな」
「はい、ユーロがこのところ絶好調で、上手く行っています」
「そうかそれは良かった。ところで、ドル円はどうだ?」
「少しビッドですね。まだショートが残っている様で、11円辺りまでは戻すと思います。今15~17(110円15~17銭)です。何かやりますか?」
「50本、適当に買ってくれ」
「16で20本、18で30本、買いました」
「ありがとう。俺は明日から週末まで休むから、何かあったら山下をサポートしてやってくれ。今の買いは12円のショートの利食いだから、山下にそう処理する様に連絡しておいてくれ。それじゃ頼む」
「了解です。短い休暇を楽しんでください」
‘これで、休暇中にポジションのことを考えないで済む’

木曜日の早朝6時に社宅を出発した。車は昨日、四谷のトヨタレンタカーで借りておいたプラドである。飯田橋ICで首都高5号池袋線に入り、関越道、上信越道、そして長野道という経路を辿ることにした。朝食を済ませるために横川SAのタリーズに寄ったが、それ以外は休憩もとらずに松本ICまで一挙に走った。時刻は9時30分。松本ICを出て上高地方面に向かう。新島々を過ぎ、カーブの多い山道を30分ほど走ると、梓湖に出た。梓湖に造られた奈川渡ダムを渡り右に車を走らせれば上高地、渡らずに直進すれば野麦峠方面である。目的地の奈川は野麦峠方面にある。狭くうねる道に気を付けながら運転に集中した。30分足らずで、宿のペンション‘野麦倶楽部’に到着した。

8年ぶりだが、かつて通い詰めていただけにオーナーご夫婦は顔を覚えていてくれた。
「お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました」と笑みを浮かべる。
「本当にご無沙汰しています」
確か二人とも70歳を超しているはずだが、元気そうだ。
「このところ天気が今一つで、今日も降ったり止んだりです。川の水量も多少増えているみたいで、仙崎さんの釣りには向かない状況かもしれませんね。でも、荷物を置いて、とりあえず奈川に行ってみますか?」
「はい、今車から荷物を降ろしますから、部屋に入れといてくれますか?」
「かしこまりました。イブニング(夕まづめ)までやるとすると、お帰りは7時過ぎですね」
「この天候なので、イブニングはあまり良くないと思います。もしかすると早く引き上げるかもしれません。それじゃ、行ってきます」

目的のフィールドまでは30分ほどかかるが、その前に蕎麦を食べておきたい。かつて行きつけた蕎麦屋は野麦峠の麓にあり、とうじ蕎麦で有名だ。二人前からの注文のため量は多いが、夜までの奮戦を考えて注文した。やはり多すぎた様だ。少し残した詫びを言って店を後にすると、店から5分程のところにある目的のフィールドに向かった。フィールドは奈川のほぼ最上流部に当る沢である。日中の日差しの強いときでも、この沢はなんとか釣りになるのが嬉しい。

現場に着くなり、車をデッドエンドのある脇道に突っ込んだ。素早くウェイダー*に着替え、タックル[ロッド(竿)やリール]をセットし終えると、直ぐに入渓した。真夏にもかかわらず、チェストハイのウェイダーとスパッツを通して冷たさを覚えるほど水温が低い。先行者が入っていれば、全く釣りにはならないが、入渓直後から25cm前後の岩魚が次々とフライに飛びついてきた。先行者がいない証拠である。久々の岩魚との触れ合いに嬉しくなり、ロッドを振り続けた。この沢には尺(30cm)を超える岩魚はいないが、それでも十分に楽しい。もう心は童心そのものだ。ところが、二時間ほど釣り上がった頃、急に空模様が怪しくなり、山特有の豪雨が稲光を伴って降り出した。山では熊にも気を付けなければならないが、雷はもっと恐い。沢を上がり側道に出ると、走る様にして車まで戻った。暫く車中で雨と雷が止むのを待っていたが、雨は延々と降り続き、時折稲光が暗い空を走り、雷鳴がそれに続く。これではイブニングもダメである。潔くペンションに戻ることにした。

ペンションに着くと、直ぐに風呂に入った。沢で冷えた体がほぐれていくのが分かる。風呂から上がりベッドで横になっていると、階下からカウベルの音が聞こえた。夕食の合図だ。
宿泊客は他に老夫婦と子連れの夫婦だけで、ダイニングは静かである。
食事も終えた頃、コーヒーを運んできた主人が
「釣りはどうでしたか?」と聞いてきた。
「最初の2時間は何とか楽しめましたけど、後は豪雨で釣りにならず、車中で寝てました」
「それは残念でしたね。今晩も豪雨らしいですよ」
「参りましたね。水嵩が増すでしょうから、明日も釣りにならないかもしれませんね。あのPC、インターネットは使えますか?」
ダイニングの隅に置いてあるPCを指して尋ねた。
「はい、大丈夫です。ログオンしてありますから、そのままどうぞ」
「それじゃ、お借りします」と言って、コーヒーカップを持ちながらPCに向かった。
カーソルをクリックすると、直ぐにトップ画面が現れた。
天気サイトで天気予報と雨雲の動きを見たが、どうやら明日も釣りになりそうにない。
「奥さん、氷と水を貰えますか。もう、部屋に戻ってスコッチでも飲んで寝ることにします」
「そうですか、それではゆっくりお休みください。朝まづめの釣りも無理そうですものね」
悪天候は彼女のせいではないのに、心底申し訳なさそうに言う。
「いや、自然には勝てませんよ」と誰への慰めともつかない言葉を残して、部屋に戻った。

持参したラフロイグをドライド・フィグ(干しイチジク)で楽しみながら、山下に電話を入れてみる。
「あっ、了さん。今ペンションからですね。フライの調子はどうですか?」
「最初は良かったけど、後は豪雨と雷でアウトだった。明日も最悪の天気らしい。それで明日、松本まで下りて岬に会おうと思う。何て話したら良いのか分からないけどな」
「そうですか。それは良かった。家内も喜ぶと思います。マーケットは明日の指標を控えて静かです。それでも着々と稼いでいますから安心してください。明日は動くのでしょうか?」
「おいおい、俺は今、山の中だぞ。それに市場も見ていない。ただ、今週は週初からドルの下を結構攻めてダメだったから、雇用統計の結果は兎も角、あまり下がらないと思う。ともかく、長いポジションでないなら、統計結果の如何に関わらず、あまり突っ込まない方が良いと思う。お前に勇気があるなら、タイトにストップを入れて、統計前に10円前後で買ってみるのも面白いかもな。またはショートカット一巡後に売るのも良いと思う。但し、ジョビングに限ってだが。来週はドルが戻しても、12円前半が一杯の様な気がする。流れはまだ下だと思う。それじゃ、奥さんに宜しく」
「分かりました。それじゃ、お休みなさい」

電話を切った後、ラフロイグを呷ると、岬にメールを入れた。
「今、奈川にいる。明日、会えるか?」
「はい、場所と時間は?」
直ぐに返信があった。
「君は今、お母さんが営んでいるクラフト店を手伝っているのか?」
「はい」
「そうか。3時頃、その近辺についたら電話を入れる。話は少しだけ山下から聞いているが、元気なのか?」
「何とか・・・。メールありがとう。何だか嬉しい様な悲しい様な気持ちで、涙が止まらないわ。もう何も書けない。明日、待っています。ごめんなさい」
「お休み。それじゃ明日」
メールのやり取りを終えると、岬の小さな肩が思い出され、懐かしさが止めどなく甦ってきた。

その晩、なかなか寝付かれないまま、ボトル半分を空けてしまった。

(つづく)


*ウェイダー:川の渡渉や湖の立ち込みで着用する防水性の胴長靴。胸まであるものをチャストハイ、胴までのもがウェストハイという。

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第8回 「休暇」

東京の週初(24日)、ドル円相場は11円(111円)前後で寄り付いた後、ドル売りが先行した。だが、ここは気をつけなければならない水準である。5月10日付けた14円38(114円38銭)からの下落局面で、ドルが下げ渋り、10円前半と12円前半でかなり揉み合ったからだ。経験則ではこうしたゾーンの中心レベルより下で突っ込んで売るとショートカットの憂き目に合うことが多い。先週末に国際金融新聞の木村に今週の予測を聞かれ、‘ドルは下向きだと思うが、一挙に10円は抜けないから、ここでのドル売りは慎重を期したい’と伝えたのはそんな含みがあってのことだ。先週末に7日RSIが30%を下回っているのもそれを示唆している。
場が活気を帯びてくると、‘目先でドルはそれ程落ちない’という想いは、一挙に確信に変わった。12円80で作っておいた50本のショートの利食いにも当てられるという気楽さもあり、とりあえず10円85で50本ドルを買った。
それから数十分経ったところで
「あっ!」と山下の声がした。
如何にもカバーし損なった声だ。
「どうした?」
「今の菱田の買い30本、カバー先のチェンジ*を食らい、滑っちゃいました」
「確かプライスは90(10円90銭)だったな。今は02~03(111円02~03銭)か。 ショートカバーが出ると、動きが早いな」
「はい」
「それじゃ、俺が朝に買った85(10円85銭)の買い50本を使え。20本余るが、それもお前にやるよ。後で、アカウント・コレクション(訂正)の手続きをしておいてくれ」
「助かります」
「下のスタバのトール・ラテで勘弁してやるよ。市場が落ち着いたら、お前が自分で買ってこい。少しは痩せるからな」
恐縮している山下を和ませる様に冗談交じりに笑いながら言葉を返した。
‘これで、俺のロングはなくなったか。どうせまた下がるから、そこで買うか’
午後にかけてドルは11円18まで戻したが、買いは続かかった。午後3時過ぎに欧州勢が市場に入ってくると、ドルの上値がジンワリと重たくなり、4時を過ぎた頃一挙にドルが下落し始めた。
朝の電話で4時過ぎに東城に部屋に呼ばれていた。
「山下、70で50本の買いを入れておいてくれ。東城さんのところに行ってくる」
「了解です」

「随分と飛ばしている様だが、いったいお前はいくら稼ぐつもりでいるんだ?」
東城の第一声だった。
「9月期では10本(億)のつもりでしたが、低調なマネーやコーポレートの状況、それにインターバンクのブレを考慮すると、15本程度でしょうか」
「ふーん。呆れたやつだな。まあ、あまり無理はするなよ。ここまで短期間で頑張ったんだ。少し休暇をとってお前の好きなフライフィッシングでも楽しんできたらどうだ。 今お前に倒れられたら困るのは俺だからな」
「ありがとうございます。山下とも調整しながら、考えてみます」
「ところで、明日は土曜の丑の日だ。昼に‘いづもや’に予約を入れておいた。久しぶりに老舗の鰻を食いにいくか。俺からのボーナスだ」
「それは、いいですね。だけど、これは昼の部のボーナスで、夜の部は‘下田’でお願いします」
嬉しそうな笑みを浮かべながら、ついでに言ってみた。そんな軽口も東城だから言える。
「こいつ、あまり調子に乗るなよ。まあ、‘下田’にはそのうちに連れて行く」
仕方のないヤツだと言わんばかりの口調で返してきたが、東城の顔も笑っている。
「楽しみにしています」
「それじゃ、明日。俺は11時に日銀の理事と会うことになっているから、現地12時半で良いか」
「はい、問題ありません。それでは失礼します」と言い残して、部屋を後にした。
‘いづもや’は昭和21年に日本橋本石町で創業した老舗だが、かば焼き、白焼き、ともにふわふわとした仕上げで、食感・味は絶品である。

東城との話はほとんど雑談で終始したが、結構時間が経っていた。日比谷通りに面した壁には主要都市の時計が掛けられている。その丁度真ん中にあるTOKYOの時計に目をやると針は6時半を指していた。だが山下をはじめ、まだ他の連中もほとんど残っていた。少し相場が動くと思っているのだろう。
「70の50本、出来ています。下は63(110円63銭)までです」
席に着くなり、山下が言う。
「この後、どう思う」
「そうですね。ロンドンも朝方売った連中は買い戻している様で、しっかりしたショートカバーが出ると思いますが」
「そうか、とりあえず、11円80と12円丁度で50本ずつ、リーブを入れておいてくれないか。キャンセルするまで回す様に頼む」
「了解です。そこにラテを置いときました。痩せるために、自分で買いに行ってきました。冷めてしまったと思いますが、どうぞ」
少し照れ笑いを浮かべながら言う。
「そうか、それじゃ、遠慮なく。ところで、ロンドンの前田はユーロのこと、何か言っていたか?」
「1711(1.1711)が抜けることを期待して、買うと言ってましたが」
1.1711とは2年前の高値のことである。
「まあ、そうだろうな。今、16ハーフ(1.1650)近辺で50本買えるかな。前田を呼んでくれるか」
もう山下はボードのキーを叩き終えている。
「はい・・・・・。48で出来るそうです。チェンジ49」
「ダン」
「前田によろしく言っておいてくれ。利食いは17ハーフ(1.1750)で頼む。これもキャンセルまでだ」
暫く経っても、皆頑張っている。
‘自由にさせておくか’
「山下、俺は先に帰る。皆もあまり遅くならない様にな」と言い残し、ディーリング・ルームを後にした。向かうのは青山のジャズ・バー’Keith’である。

その後、ドル円は水曜日に週高値となる12円21を付けたが、伸びに欠け、結局週末には10円台後半に下りてきた。ユーロドルは木曜日に1.1777まで上昇した後、1.16半ばまで反落したが、週末には1.17台へと上ってきた。

週末の金曜日、めずらしく山下の方から話があると誘ってきた。場所は銀行に近いパレスホテルの6階にあるバー・プリヴェにした。ニューヨーク在勤中に建て替えられたホテルはロケーションこそ昔と同じだが、まるで別のホテルに変貌を遂げていた。二人が案内された窓際の席からは、左手に日比谷通りと濠が見渡せる。ほぼ南北に走る日比谷通りには、無数の車のライトで変則的なドット線が描かれている。日比谷濠には、オフィス・ビルの灯りや街灯が歪みを作りながら帯状に浮かんでいる。そんな贅沢な夜景の見える席に男二人が座っている。傍から見れば、違和感のある光景に違いない。ドリンクをダイキリにし、食べ物は山下に任せた。
「来週は、どうでしょうか?」
いつもの山下の第一声だ。
「どこかでドルの下を試すと思う。皆、10円を割れる方向を考えているハズだから、あまり逆らえないな。割れるかどうかは分からないが、そろそろ揉み合いの日柄も終了する頃だ。気を付けた方が良い。割れれば、例の8円台(108円81銭、108円13銭)を目指すのかもな。軽く勝負をかけるのなら、週末の雇用統計(7月米雇用統計)前に大勢が作ったポジションの逆張りが良い。余程のことがない限り、イベントや重要指標の前にポジション調整が入る可能性が高い。後はFEDが少し物価動向に懐疑的だから、アメリのデフレーターには注意した方が良いかな」
「オバマケア廃案の否決、混迷を続けるトランプ政権人事、ロシアゲート疑惑、これらをどう相場と結びつけて行けば良いんでしょうか?」
「そんなことはエコノミストやアナリストの書いたものを読んでおけ。俺に聞いても有体のことしか言えない。当たり前だが、俺やお前だって普通の人達よりもそうしたことを深く考えている。でも余程の確信がない限り、政局や政権案件で事前にポジションは作らないだろ。重要なのは、その時々の需給と状況判断だ。ところで、話って何だ?」
「はい、また了さんに大きなお世話と言われそうですが、岬君、あッ済みません、岬さんの件です」
山下の奥さんと岬が同期のせいだったこともあり、君付けが癖になっているが、俺の昔の恋人とあって、慌てて言い直した。もっとも、一度付いた癖は直らない。どうせ暫くすると、岬君に戻るに決まっている。
「それで?」
「家内の話によれば、まだ了さんのことを忘れていない様です。と言うよりも、多分、了さんに頼りたいのだと思います。話だけでも聴いてあげたらどうでしょう?」
「そう簡単に言うなよ。別居しているとしても人妻は人妻だ」
「じゃ、僕が来週3本(3000万)稼いだら、会ってもらえますか?」
やけに自信ありそうに言う。
「何で、そこまでお前が彼女のことを気にするんだ?」
「家内が、岬君・・・、岬さんの精神状態を心配しているからです。銀行ではあれだけ仲の良かった二人ですから、家内も岬さんの心の痛みが良く分かるのだと思います」
「そうか、分かった。考えておくよ。そのかわり、3本、ちゃんと稼げよ。それと、奥さんに電話番号とメルアドを聞いておいてくれないか?」
「ありがとうございます」と言いながら、メモを渡して寄越した。
「なんだ、もう用意してたのか。ボード捌きと同様に、こういうことまでお前は速いのか。まあ、良い。ところで、東城さんからの勧めもあって、俺は来週の水曜から休暇をとるが、お前の都合は問題ないか?」
雇用統計が週末に発表されるが、その日の仕切りは山下に任せることにした。
「問題ありません。休暇はフライに出かけるんですか? とすると野麦方面ですね。帰りに松本に寄って貰えると了解して良いんでしょうか?」
「まあな」と答えながら、ダイキリのグラスを口に運んだ。
(つづく)


*チェンジ:クォートしている最中に相場が動くことがある。その場合、出し手がレートを変更することを言う。

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第7回 「懸念と再決意」

東京市場が「海の日」でクローズとなった週初(17日)の夜、
社宅から出るのが面倒で、宅配のピザで夕食を済ませることにした。

日本の宅配ピザのバリエーションの多さには驚かされるばかりだが、
何よりも旨いのが良い。

だが、シンプルなニューヨークのピザもまた忘れがたいものがある。

そんな懐かしさを覚えながら、デスクの上に置かれたマルゲリータのスライスを
次々と胃に入れた。

BGMにはコルトレーンのアルバム‘Ballads’を選んでいた。

定番過ぎるほどの定番となったアルバムだが、
挿入された曲のすべてが耳に心地良いのがその理由だろう。

少し腹が満たされたところで、情報端末とPCの画面に目を向けた。

特に何を見るでも読むでもないが、長年の習性である。

少し考え事をしたくて、数枚残ったマルゲリータをキッチンに片づけ、
かわりにラフロイグとショットグラスをデスクの上に置いた。

セカンド・ショットを空けたところで、転勤後の慌ただしかった
一カ月半の出来事などを思い起こす。

 

「前年度も市場部門はバジェット(目標)未達に終わっている。
今年9月期の未達だけは何とか避けたいので頑張ってくれ」

という指示を東城から受けたのは、帰国して間もない一カ月前のことだった。

ニューヨーク支店にも凡その情報は入ってきていたが、
ディーリングルームの実態は分からなかった。

東城もまた、支店で奮戦している俺のことを気遣い、
決して本店の酷い状況を話さなかったのである。

最近になって、そんな過去の実態を山下が語ってくれた。

市場環境に恵まれなかったとは言え、
前任者川原の就任後2年間の成績はあまりにも酷く、
彼の収益が2年間でプラスになった月は2~3カ月ほどだったという。

チーフを務めていた大竹も荒いディールが目立ち、
前年度は大きくやられたそうだ。

上二人の技量のなさや結果がインターバンクやディーリングルーム全体の
士気の低下につながったのだろう。

だが、俺が帰国してから部下達の士気も少しずつ上がってきた様である。

これからは俺が稼ぎ、皆が稼ぎ、そして本部全体に活気が戻ってくれば
必然的に収益が上がってくる。

‘また今から仕事をやるか!’、俺も病気かなと思いつつ、
ニューヨークの沖田に電話を入れた。

 

「どうだ、市場は?」

「はい、今日は総体的に静かですが、コストの悪いショートが残っている感じがします。

クロス円がビッドなので、ドル円も多少上がると思いますが、
了さんは今週もドルは下がると思ってるんですよね?」

「多分そうだろな、この感じだと。弱いときには売り材料がついてくる、
相場付き次第で普段なら見向きもしない与件も弱い通貨の悪材料
になってしまうからな。

どうせ、有象無象のドル売り材料が出てくる。

逆にユーロには買い材料がついてくる。

最近のドラギ(ECB総裁)の示唆をメディアが誇張し、
ユーロにプラスに働く。

リーブを頼む。

ドル円は‘80(112円80銭)で50本の売り、
それにユーロドルを25(1.1525)で50本の買い’だ。

ドル円は当分上がらないと思うから、ストップはいらない。

ユーロドルだけ下の75(1.1475)でストップを入れておいてくれ」

「了解です」

「ところで、そっちはどうだ?」

「了さんがいなくなって、支店の皆もブローカーの連中も、淋しがっていますよ。
収益はまあまあです」

「お世辞にしても、俺がいなくなって、清々したと言われないだけマシってところか。

収益もまずまずで良かった。ところで何か問題はないか?」

本店の外国為替課長として、これからは海外店のケアもしていかなければならない。

前任の川原や部長の田村がそれをしてこなかったために、
東城の負担が増えていたのだ。

少しでも彼の負担を減らせればと思う。

「実は子供の日本語があやしくなってきたので、家内が帰国を望んでいます」

「そうか、また俺の下でも良いのか?」

「はい、それはもちろんです」

「わかった。来年3月頃をメドに考えておくよ」

「学年の切れ目の9月には間に合わないが、そこは勘弁してくれ。

それと不測の事態が起きると拙いので、奥さんを含めてコンフィデンシャルで頼む。

それじゃ、またな」

「ありがとうございます」

 

沖田との電話が終わったとき、時計は10時を回り、グラスは4杯目に移っていた。

全く酔いがこないのは、先のことが気になっているからだ。

9月末までの時間を考慮して先週は勝負に出たが、あんなもので良いのだろうか。

先週のドルの上伸は4円49(114円49銭)で止まり、
ほぼ予測通りの水準で上値が抑え込まれた。

4円台での売りはトータル240本、平均コストは4円29だった。

これらはすべて手仕舞った。

3円20・2円35で80本ずつ買戻し、そして残りを108円台と11円台で作った
根っこのロング80本にぶつけた。

利益は5億数千万に上る。帰国後のジョビングで儲けた数千万と合わせると、
ざっと6億稼いだことになる。

東城は幾ら稼げとか、金額に一切触れていないが、
この先のインターバンクの収益のブレ、
安定しているが低調なコーポレート・デスクやオプション・デスクの収益、
そして自分の管轄外だがマネー・デスクの冴えない状況を考慮すると、
俺のプロップ(ポジション・テイキング)で15億を稼ぎ出す必要がある
と踏んでいる。

それには、9月末までの2カ月余りで9億程度を稼ぎ出さなければならない。

少し揺らぎかけた自信を取り戻す様に、6杯目の残りを一気に喉に流し込んだ。

 

翌日からやはりドルは下がり始めた。

1円半ば(111円)まで下げては2円に戻すといった展開を続けていたが、
ドルは次第に力をなくし、週末のニューヨークで111円割れ直前まで下落した。

だが、今週は沖田に頼んだオーダー以外に市場には一切入らなかった。

内部の会議、申請書類の作成等で忙殺されてしまったのだ。

確かにドルは下落したが、良い売り場買い場がなかった相場展開
だったこともある。

週末の土曜日、面倒な用件を抱えていた。

以前から国際金融新聞の木村から‘夏相場’についての原稿執筆の依頼を受けていたのだ。

一度引き受けてしまった以上、書かないわけにはいかない。

有体のことを書いてEメールで送信した。

すると間髪を入れずに、木村から礼のメールが送られてきた。

「来週はどうですか?」と付け加えてくるところが如才ない。

「ドル円は3月以降、下落局面で2回、110円~112円50銭で揉み合っている。

結果的には2回共、ドルは10円を割り込んでいる。

その時点の安値は1回目が108円13銭(年初来安値)、
2回目が108円81銭。揉み合いでドルが負ける確率は高い。

ただ、既に短期のRSIが低いので、一挙に抜けずに反発することもある。

そのあたりの様子を見たい。ユーロドルは15年8月の高値1.1711を抜けると、
一段高の可能性。ドルやユーロの与件は、巷に転がっている通り。

書き散らしですが、木村さんの方で適当にまとめておいてください。

それでは、失礼します」と書いて、PCをログオフした。

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第6回 「意地」

週初からドル買い優勢の展開となった。

先週末(7日)に発表された米6月雇用統計の非農業部門雇用者数(NFP)が
事前の市場予測よりも増加したことを受けてのことだ。

先週末に作った30本のドル・ショートの持ち値4円10(イチマル、114円10銭)を
既に超えている。

だが、先月末に70%を超えた7日RSIは80%に到達している。

ドルが落ちるのは時間の問題だ。

NFPが良かった後の翌週はドルがそれ程強くない
という経験則を知りながらも、
市場の多くが刹那・刹那のセンチメントに負けてドルを買っている。

市場心理とはそんなものだ。

この流れでフィボナッチ水準の4円64(114円64銭)を潰すのは難しい。

ここは108円台からのドル高一相場に一息入る水準であり、
ドルロングの投げを誘い込めれば、一挙に相場は崩れるハズである。

「山下、金曜の夜に話した通り、俺はショートで構える。

今週は勝負に出るよ。

俺に構わず、インターバンクは臨機応変に対応してくれ。いいな」

「了解です」

だが、意気込みとは裏腹に、20(4円20銭)辺りから相場は滞った。

とりあえず、20で20本だけ売って様子を見ることにした。

ロンドンが入ってくる頃に30を付けたが、ドルは伸び切れず、
ニューヨークでも冴えない相場展開が続いた。

やっと相場が動意づいてきたのは翌日の午後からだった。

「山下、野口、30本ずつ二つのブローカーで売ってくれ」

「25」、「26」と二人の声が響く。

「了解」と答えて、少し間を取ることにした。

 

「It’s Ryo. Sorry for calling you up at midnight」

電話の相手はアメリカの友人マイク(マイケル)・フィッツジェラルドである。

マイクはコロンビア大MBA時代の友人で、
米コネティカット州・オールドグリッジにある
ヘッジファンド‘パシフィック・フェローズ’のCEOである。

彼のファンドに出資しているのはスイス系など欧州の機関投資家が多い。

「No problem. The time is not midnight, but early in the morning, though.Right?
Ha! Ha! By the way, what’s up?
Do you want me to sell bucks*?」

「How did you know that?」

「Cause I’m your friend. Ha! Ha! I can sell just100 bucks now.
Is it enough?」

「Good enough! Thanks for your help」

「My pleasure! I know you’re now tied up with dealings.
I’ll let you go, Ryo!」

「Thanks. Good night, Mike!」

電話を置くと、再びドルを売り始めた。

「山下、シンガポールを呼んで30本売ってくれ」

「35」

「了解。野口、浅野、東京のインターバンクで30本ずつ売ってくれ」

「37」、「40」

「了解。あと20本ずつ、マディソンとワールド・コマースで頼む」

「39」、「40」

コーポレート・デスクからも徐々に実需のドル売りが湧き出してきた。

その後も買いが続き4円47を付けたが、東京での買いは少しずつ収まってきた。

自分の心も落ち着きを取り戻した頃、

「課長、五井商事の武村さんからお電話ですが、出られますか?」

と誰かの声がした。

スクリーンから目を離して顔を上げると、
ジュニア・ディーラーの大西が受話器をかざしている。

「ああ、出るよ」と渋々受話器をとった。

「はい、仙崎です」

「随分お売りになったそうで、結構、内外で噂になってますよ」

「ええ、売りましたけど、随分とまでは」

「何か特別な理由でも?」

「いや特にありませんが、ここからは上が重たいと思っただけです」

「そうですか、さっきある外銀が‘米系ヘッジファンドがドルを売っている’と
教えてくれました。

それにスイスの生保が売りオーダーを置いていったそうで・・・。

その辺りの背景は分かりませんか?」

‘マイクが仕向けてくれたんだ’

「残念ですが、まったく分かりません」

うちのコーポレート・ディーラーが武村の気を引きたくて、
俺が英語で話していたのを伝えたのだ。

守秘義務を越えない範囲で情報を客に提供して、
その見返りにフローを取ってくるのも彼等の仕事である。

「有名人はいいですね。仙崎さんが売っていると聞けば、誰もが買うのを止める。

また逆に売りも湧いてくる。流石ですよ」

「冗談は止してくださいよ。私の名前で市場が動く訳ないじゃないですか」

電話の向こうで武村の部下達が「yours」を連発しているのが聞こえてくる。

武村がメモか仕草で「売れ」と命令しているのが手にとる様に分かる。

‘これで良い。

今日、あちこちでディールしたのはこうした効果を狙ってのことだ。

武村はさらに他行にも俺の話を伝えるだろう。

そしてそれが東京市場全体に行きわたり、さらには海外市場にも伝わる’

「それじゃ、仙崎さん、失礼します。またそのうち、帰国祝いでもさせてください」

「ありがとうございます」

今日は彼の電話を逆利用できたが、普段は迷惑な電話である。

それでも五井商事とはうちのあらゆる分野で取引があるため、
出ないわけにはいかない。

電話を無下に扱えば他の部署に影響が出かねないのだ。

彼はそのことを知りながら、しばしばうちに電話をかけてくる。

もっとも、こうした積み重ねが五井商事の市場部門の歴史を
培ってきたのも事実である。

 

その日のロンドンやニューヨークでもドルが買われたが、
高値は49(114円49銭)止まりだった。

しばらくすると、フォローの風が吹き出した。

トランプ大統領の長男が昨年の大統領選に絡んでロシアと
接触したことを裏付ける報道が流れ、ドルの上値が急に重たくなった。

米株は急落し、米金利も低下した。

そしてブレイナードFRB理事の
「テーパリング開始後は次の利上げには慎重な姿勢で臨む」
という趣旨の講演がドルロングの投げを呼び込んだ。

もはや市場にドル買いの気配はない。

重要な3円70(113円70銭)を割り込むのは間違いなかった。

さらには翌日水曜のニューヨーク早朝に公表されたイエレンFRB議長の
議会証言原稿がドルの下落を決定的なものにした。

原稿には「インフレの先行き不透明感に関する懸念や大幅な利上げは不要」
との内容が示されていたのである。

これでドルは一挙に2円92(112円92銭)まで急落した。

意地を張り通した甲斐があった。

意地を張って事が上手く運べば‘流石’と言われるが、
しくじれば‘執着心’の強いヤツで片づけられる。

まだ俺も前者の様である。

 

週末の8時半過ぎに銀行を出ると、青山の‘Keith’ に向かった。

やや重めのドアを押すと、マスターが笑みを浮かべながら迎え入れてくれた。

「カウンターの奥はどうですか?」

「いや、後からもう一人来るから右手の奥のテーブルの方が良い」

「それでは、そちらへどうぞ。女性ですか?」と笑みを浮かべながら言う。

「そんなこと、昔はあったな。生憎だが、ほぼ中年の小太りの男だ」

「そうですか。それは残念ですね」

「まあそのうち、飛び切りの美人を連れてくるよ。

注文はフォアローゼズ・スモールバッチのストレートとチェイサー、
それにサンドイッチを二人前。音はKeithのJasmineを頼むよ」

「承りました」と言い残し、オーディオセットの方に向かっていった。

Jasmineは一人で静かに聴き入るのに良いアルバムだ。

For all we know, Where can I go without youが終わり、
トラックがNo moon at all に入ると同時に携帯が鳴った。

居残りの山下からに違いない。

「悪いな、先にこっちに来てしまって。それで数字はどうだった?」

「米6月CPIや小売り売上高が事前予測を下回りました。今、2円前半です」

「そうか。4円台で売った3分の1は3円20近辺で買い戻しているから、
残りの半分を買っておいてくれるか。

後の半分は来週考えるよ」

「了解です。35でダンです」

「もう済ませたのか。異常な速さだな。それじゃ、適当に片づけてこっちに来いよ。

場所は分かるよな?」

「はい。これから出ます」

 

30分ほどして、汗を拭いながら山下が現れた。

店は246から数分歩いたところにあるが、
その間にも汗ばむほど外は暑く湿気を帯びている様だ。

「今週はお疲れ様でした」

「お前こそ、何かとありがとう。ビールで良いか」

「はい、とりあえず」

「マスター、彼にカールスバーグを頼む」

山下はビールをグラスに注ぎ終えると、‘頂きます’と言いながら一気に飲み干した。

「上手いですね。そのサンッドイッチも良いですか」

テーブルに置いてあるサンドイッチを指差す。

「食いたいだけ食っていいよ。腹がもっと出ても良ければな」

「ひどいな、いきなりそれですか」

二人の笑声がテーブル席から飛び散った。

Jasmineの後にかけてもらったThe Melody At Night, With Youも、
もはや場の雰囲気に合わなくなっていた。

「了さん、来週はどうですか?」

「ドルが崩れて日が浅いから、市場のセンチメントが直ぐに変わるとも思えないな。

問題はドルが売られたときに3月と5月に揉んだ11円台が簡単に崩れるかどうかだ。

また値頃感からのドル買いが出ても今週の失地をすべて回復するほどの力はないと思う。

簡単に言えば、‘ドルは弱含み、だけど、
11円と13円70(111円~113円70銭)の中での揉み合い程度に構えておきたい’
てところかな。

日米共に政局も微妙だし、とりあえずは週初の様子を見よう。

まあ、それよりも今日は飲もう」

「はい」

(つづく)


*buck:米ドルのこと

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第5回 「節目のとき」

先週のドラギECB総裁やカーニーBOE総裁のタカ派的発言で
欧州通貨円クロスが急騰し、それに連れてドル円も堅調となった。

今週(7月3日週)もこの地合いを受け継ぎ、
週初からドル円は堅調で水曜日には113円69銭まで上昇した。

先週作ったポジションのうち、ユーロ円は既に利食いを入れてしまったが、
コストの良いドル円のロングはいまだに手仕舞わずにいる。

現在は108円台の30本ロングと11円85銭の50本ロングが残っている。

108円台のロングは米5月CPIが公表された6月14日に作ったもので、
11円85銭のロングは先週の休暇中にディップ(押し目)を拾ったものだ。

明日には米6月雇用統計が発表される。

市場が注目している非農業部門雇用者数(NFP)の
アナリスト予測は約18万人増とそれ程強くないが、
3日に発表された6月のISM製造業景況指数が予想以上に良かったせいもあり、
これまでのところドルは堅調だ。

もっとも、ドル円は13円前半を付けては12円後半に下落し、
13円後半を付けては再び12円後半に下落するといった難しい展開で、
市場の多くがドル一段高の予測をしながらも
コストの良いロングを持ち切れていない様子である。

知り合いのディーラー連中も買っては投げさせられ、
買っては投げさせられているという。

振り返れば自分自身もドル円に関しては、
これまでのところジョビング*程度のことしか出来ていなかった。

虎の子のドル円80本のロングはキープしたままだが、
結局米雇用統計前日の木曜日(6日)までに残せたニュー・ポジションは
129円05銭で何とか押さえたユーロ円のロング50本だけである。

もっとも、ユーロ円のロングもそう長くキープするつもりはない。

ドラギ総裁は自身のテーパリングの示唆が金利市場に与えた影響が
予想外に大きかったことを気にしている。

その反省のために、彼がややハト派的な発言をする様な気がしてならないのだ。

 

金曜日の夜、米雇用統計に備えて山下以外にも5人居残った。

コーポレート・デスクも重要顧客を持つディーラーが数人残っている。

ただ、最も市場の耳目を引く米雇用統計発表の日でも、
ディーリング・ルームにはかつてほどの賑わいはない。

結局この日も常連の商社三社、自動車二社、そして生保二社との取引があっただけで、
インターバンクもコーポレートも大きな収益はなかった。

もっとも、自動車と生保のいずれもがドル円を売ってきたことは大きな収穫と言えた。

市場予測よりもNFPが良かったことを受けてドルが買われ114円台付けると、
間髪を置かずに自動車の一社が40本を売り、生保の一社が100本を売ってきた。

彼等も5月の戻り高値が114円38銭止まりだったことを気に止めていたのだ。

むろん、足下のドルが強いのは分かっているし、
ドラギ総裁の示唆が米金利に上昇圧力をかけていることもあるが、
やはり真っ当な企業の売り処は概ね同じなのである。

6月調査の日銀短観に記載されている大企業・製造業の17年度における事業計画の
(ドル円)想定レートは108円31銭だった。

それと比べれば、足下の相場水準は相当に余裕のあるレベルだが、
彼等は不測の与件が出れば5~6円はあっという間に振れることを十分に心得ている。

彼等の売りを見て、自分もドルを売る気になった。

 

日が変わる頃、山下と銀座のバー‘やま河’にいた。

店は12時で終わるが、ママに少し無理を言って閉めるのを待ってもらった。

「了さん、たった今、沖田さんからメールが入りました。

10(イチマル、114円10銭)で30本売れたそうです。

ただ、30(サンマル)の売り20本は無理そうだということです」

「分かった。ありがとうと伝えてくれ。そして30の売りもオフにする様に」

「了解です」と言うが早いか、スマホに指を滑らせている。

「ママ、ビールを中ビンで頼む。グラスは三つ」

カウンターに置かれた三つのグラスに自らビールを注ぐと、
山下とママに渡した。

「お疲れ様」、少しだけグラスを持ち上げながら三人の声が揃った。

カンターに置かれた麻布十番の‘塩豆’を二粒つまんで、口に放り込んだ。

おしゃれで素朴な味が良い。

「ママ、ラフロイグのオンザロックとドライド・フィグ(干しイチジク)」

「僕はグレンリベットをテイスティング・グラスでお願いします。
それとアテは了さんと同じものを」

「すっかり、テイスティング・グラスが気に入った様だな。
でも、干した果実は糖質が一段と高くなるから気を付けろよ。

それ以上腹が出ると嫁さんに嫌われるぞ」

小太りの山下だが、最近その傾向が目立つ。

「はい」と照れ笑いを浮かべながら、話題を岬の件に切り換えてきた。

「岬君の件ですが・・・。
妻と同期入行で仲が良かったこともあり、
二人は結婚後も電話やメールのやりとりを続けている様です。

別居してから既に2年以上経つらしく、ご主人と性格が合わないのが理由だとか。

妻は結婚式に出席したときに紹介されたそうですが、
少し神経質な感じを受けた様です。

財務官僚とのことですが、何となく想像がつきそうな人物ですね」

「夫婦のことはよく分からないが、
日々の暮らしのなかで消化できない澱が心の中に溜まってしまったのだろうか・・・。

離婚するかどうかは別として、まだ35歳だ。

新しい生き方もあるはずだが」

岬の旧姓は中谷だったが今の姓は何と言うのだろう。

もう別れてから8年も経つのに、そんなことが少し気にかかり出してきた。

「そうですね。今日はもうその話は止めましょう。
ところで、来週はどんな感じでしょうか?」

「そうだな。雇用統計の結果が良いとき、
その翌週のドルが必ずしも強いわけではない。

それはお前も良く知っている通りだ。

このところ、短期RSIの水準も大分高くなっているのも気に懸る。

ただ、市場が今日の統計とFRBの正常化路線を結びつけるのなら、
多少のディップを作ってから上値を試すかもしれない。

来週は108円台からのドル高が大きな局面を迎える様な気もする。

今日付けた4円台の高値を更新すれば、追いかけてその味を確かめてみるのもよし、
また上値が重ければ売ってみるのもよし、日計りはそんな感じかな。

やっかいな相場があるとすれば、114円64銭(トランプラリーの最高値118円66銭と
それ以降の最安値108円13銭との61.8%リトレースメント)を上抜いたときくらいかな。

俺はややベアに構えているけれど、インターバンクは柔軟に対応してくれ。

まあ、来週も頼むよ」

(つづく)


ジョビング(jobbing):短期売買で利鞘を積み重ねるディーリング

この連載は<a href=”http://www.eagle-fly.com/mm/” target=”_blank” rel=”noopener”>新イーグルフライ</a>から抜粋したものです。

第4回 「人事」

月曜のシドニー時間に多少オファーになったドルだが、
東京に入るとビッドづいてきた。

やはり5月からの下降ウェッジを上放れたのが効いている。

この流れで、
直近最高値の111円79を抜いて行く様であれば多少相場が動意づく。

「フィボナッチ水準の112円25銭*を潰せば、112円90銭近辺までありそうだ。」

先週金曜日に国際金融新聞の木村に今週の相場予測を聞かれてそう答えたが、
‘今日の朝方の気配からすると、予測通りになるかもしれない’、
そんな考えが頭を過った。

だが、実際にはドル買いが湧いてこなかった。

市場全体が動意薄となってしまったのだ。

 

場が暇なのを見計らって、東城から任されていた人事を練ることにした。

東城は前任の外国為替課長の川原を関西支店の法人営業部に、
チーフディーラーの大竹をパリ支店の資金・為替部門へ転勤させていた。

帰国後はお前の好きにやれという東城の計らいだろうが、
手薄となった分は自分でカバーしなければならない。

市場が忙しくなると自分もディーリング・ボードに張り付くが、
これも早晩限界がくる。

場が荒れるときは顧客や国内外インターバンクのフローの他に、
支店からのフローも殺到する。

現在自分を含めてインターバンク・デスクは10名体制で回しているが、
手一杯の状態だ。

管理職となった今、必然的に会議も増えているため離席することも多い。

早急に一人を補充する必要があった。

「山下、少し早いが社食に行こう。この分だと場は静かだろう。」

「はい。」

人事の話と悟ったのか、山下が少し声を強張らせた。

「野口、浅野、大口のフローはお前等二人で責任を持ってカバーしておけ。

俺と山下は社食にいる。頼んだぞ。」

「了解しました。」

野口と浅野がほぼ同時に答えたが、二人共声が上ずっていた。

上の二人が居なくなることで不安を覚えたのがよく分かる。

こうして若手ディーラーは皆、不安と恐怖を感じながら一歩ずつ
成長していくのである。

野口はユーロやその他欧州通貨、そして浅野はアジア・オアセアニ通貨を
担当しているが、日頃からドル円を担当する山下のフォローも
しっかりとこなしている。

任せても問題はない。

また万が一失敗しても、その責任は俺がとればいいだけのことだ。

 

13階にある社食は朝7時半から開いているが、昼食は11時からである。

ディーラー連中はデスクで弁当をとることが多く、あまりここは利用しない。

普段なら眺望の良い日比谷通りに面している窓際の席は一杯だが、
少し早めに来たせいもあって空いている。

人事の話をするには好都合だ。

「あそこにしよう。」と言いながら、
両手で抱えた焼き魚定食のトレーを席の方に向けた。

生姜焼き定食を選択した山下が、
「めずらしく特等席ゲットですね。」と少し嬉しそうに言う。

席に座ると直ぐに、本題を切り出した。

「さっそくだが、明日からお前がチーフをやってくれ。

もうお前なら問題ない。

俺は9月期を乗り切るためにプロップ(ポジション・テイキング)に専念する。いいな。」

激励の意味を込めて、力強く確認の言葉を付け加えた。

「はい。喜んでお引き受けします。でも仙崎さんも大変ですね。」

「いや、所詮ポジションの大きさが変わるだけだ。

もっとも、夜なべは増えるだろうな。

それに言っておくけど、
お前もそれに付き合うことが多くなるってことは分かっているよな。」

「はい、でも精々離婚されない程度にしてくださいね。」

少し大きな二人の笑声が混み始めた食堂に響き渡った。

「ところで直ぐにでも、一人補充したい。誰かいないか?

ただ、あっちの息のかかったのは拙い。」あっちとは日和銀行のことである。

「そうですね。それでしたらIBT証券外債部の小野寺が良いかと。

年次は2年下ですが、なかなか考え方もしっかりしているし、
うちに向いていると思います。

確か部長は住井出身ですし、横槍が入ることはないでしょう。

それに何よりもあいつは仙崎ファンですから、きっと本人も快諾しますよ。」

「そうか。分かった。明後日東城さんが長旅から戻ってくるから、
さっそく話してみるよ。

それとお前の件だが、来春にニューヨーク転勤ということで良いか?」

「本当ですか。ニューヨーク大好き人間の家内もきっと喜びますよ。」

声を弾ませていう。

「そうだな。良いところだよ。特に郊外が良い。

頃合いを見て東城さんに話しておくが、それまでは誰にも話するなよ。

悪いが、奥さんにもだ。」

 

社食を後にした二人はまるで何もなかった様に、ディーリング・ルームに戻った。

「それじゃ、明日から宜しくな。」と言って、
自分のデスクに戻ると目先の戦略を練った。

暫くして、
USDJPY
Buy 50 mio(本)at 11円80銭), Buy 50 mio at 12円25銭. If all done, sell
50 mio at 12円90銭)。
EURJPY
Buy 30 mio at 25円85銭(125円85銭). If done, sell 30mio at 128.00.
と書いたオーダー用紙を山下に渡した。

「山下、悪いけど後でこのリーブ、俺がオフするまで回し続けておいてくれ。

買いはすべてall taken next*で頼む。

勝負処だから、ストップは入れないが、
ドル円は朝方のシドニーで付けた1円13(111円13銭)、
ユーロ円は25円(125円)を割り込む様であれば、
電話連絡だけする様に手配を頼む。

週末のデフレーターの予測が悪いので、
にわかロングは必ず投げてくる。

ドル円はそこでもう一度買ってみよう。」

「了解です。」

 

結局、週前半で利食い以外のリーブはすべて付いた。

11円80銭の買い50本のうち、30本は11円45銭のストップロスに回した。

これで現在のポジションは、ドル円は108円90銭で30本のロング、
111円80銭で20本のロング、112円25銭で50本のロング、
そしてユーロ円は125円85銭で30本のロングとなった。

 

水曜日の午後3時過ぎに、東城の執務室に呼ばれた。

「お疲れ様でした。ロンドンの後、フランクフルト、シカゴ、
そしてニューヨークへ行かれたと聞いておりましたが、
随分と強行軍でしたね。」

「まあ、世界の市場部門の実質的責任者なのでたまには仕方がない。

例のEUの業務認可はフランクで決まる方針だ。

ハードブレグジットとなれば、法人営業もロンドンのままでは拙いだろうしな。

ところで、少しは調子が出て来たか?」

「収益はまずまずですが、その件で人事を少し動かしたいと考えています。」

「そうか。それでどうするつもりだ。」

一昨日山下と話し合って決めたことをそのまま伝えた。

「了解した。山下のチーフ昇格は常務に伝えた後、人事に報告しておく。

証券の小野寺君の件も、債券部長の倉本とは親しい仲だから多分大丈夫だ。

出来るだけ早く着任する様に手配する。」

「恐縮です。」

「ところで、市場はどうだ?」

「概ね金利相場というか、利上げ期待相場といった感じです。

ECBのテーパリングは直ぐに実行には移せないでしょうが、
市場は期待が先行するため、当分はユーロ買いが優勢となるでしょうか。

ただ、ユーロ圏要人のユーロ高牽制には気を付けたいところです。

BOEの引締めは、ブレグジットの結果としてのポンド安で
一年前と比べて大幅にCPIが上昇しているため、
止むを得ずの政策と言えます。

ブレグジットの経過も考慮すると、ポンド買いは控えた方が無難かと。

FEDはvoting member9人のうち6人が年内利上げ支持派(中立派)、
残り3人がハト派です。

夏休み前のjobless dataとインフレ指標次第で9月利上げ説も浮上しそうですが、
このところの実体経済を見る限りでは12月の可能性の方が高いと思います。

このままイールドがスティープニングしてこなければ、
中立派の2人がハト派に転じる可能性も排除できません。

その場合は年内の追加利上げなしということになります。」

「分かった。それより、社宅の方は落ち着いたのか?」

「いえ、まったく。母親と姉が生活必需品は用意してくれたのですが、
自分の居所とは呼べる状態ではないですね。」

「それは拙いな。物事は基盤が重要だ。

明日から休暇をやるから、日曜日までの4日間で何とか部屋らしくしておけ。

これは業務命令だ。

現在のポジションはリーブで凌いで、来週からまた心機一転頑張ってくれ。」

「了解しました。ありがとうございます。

それでは本部長も出張の疲れを癒してください。失礼します。」

と言い残してその場を辞した。

 

席に戻るなり、東城との会話を山下にそのまま伝えた。

「山下、東城さんは先日話した通りで動いてくれるそうだ。

お前のチーフ昇格の件は今日、常務の承認を経て人事に届く。

小野寺君の件も問題ないと思う。

ところで悪いけど、東城さんの命令で俺は明日と明後日、休暇をとることにした。

少しねぐらを整えておけとのことだ。

そこでリーブだが、12円85銭で50本は売ってくれ。

それがdoneしたら、11円85銭で50本の買いを入れて置いてくれないか。

ユーロ円の利食いは128円のままで良い。

今週残りの二日間の相場を見てみないと分からないが、
ドル円は年初来の抵抗線が抜ける様なら、
13円80銭位があっても不自然ではない。

ただ、如何せん108.81からの上昇が速過ぎるので、
そろそろドル買いに過熱感がでそうな気がする。

下は111円前半まで落ちる様だと、そこからの反発は難しくなるので、
下値を試す展開もあり得る。

ユーロはこの先、ユーロ高牽制発言が入る可能性も排除しない方が良いと思う。
それじゃ、留守の間の二日は頼む。」

「任せておいてください。

ところで仙崎さんに言うか言うまいか、迷っていたことがあります。

でも家内と話をしていて、やはり話す方が良いとの結論に至りました。

岬君のことですが、どうも結婚後、ハッピーではないらしく
今は実家のある松本に戻っているそうです。

来週また飲みに行ったときにでも詳しくお話し致します。」

「そうか、分かった。話してくれてありがとう。それじゃ、来週。」

岬はニューヨークに転勤する前の半年ほど、付き合っていた行内の女性である。

俺が多額の損失を出した頃から少しずつ、会うのも間遠になっていた。

(つづく)


*5月10日高値114円38銭と6月14日安値108円81銭との61.8% retracement
*売り物がすべてこなれた状態

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第3回 「嫉み」

山下を労うために訪れた銀座のバー‘やま河’は
元米系銀行の人事部長だった女性が早期退職して出した店である。

下町生まれらしい彼女の気風の良さが好きで、
ニューヨークに渡る前から訪れていた店だ。

山下はシングルモルトのグレンリベットをテイスティング・グラスで
飲むのをすっかり気に入った様子だった。

次々とグラスを重ねる彼を見ているうちに、
自分もついつい飲み過ぎてしまった様である。

神楽坂の社宅に戻った後、ソファーで少しだけ休むつもりだったが、
いつしかそのまま眠ってしまった。

気付いたときは5時を過ぎていた。

帰りの車中で少しドルを買ってみようと考えていたが、もう遅い。

ニューヨークは金曜日の午後4時過ぎである。

週末のその時間、銀行もブローカーも市場への関心をなくし、
ディーリング・ルームではミニチュアのアメフト・ボールや
バスケット・ボールを投げ合っている頃だ。

そして5時になると皆、家族や恋人の元へと急ぐ。

このとき正に、世界中の為替ディーラーも束の間の休息を迎える。

それは俺や山下も同じだ。

何かやりたければ、月曜日のオセアニアまで待つしかない。

 

週が変わって月曜のオセアニアで多少ドルは売られたが、
10円80銭で止まった。

市場の中心が東京に移ると、ドルは寄り付き近辺でややビッド気配になった。

金曜の晩に山下から「来週はどうですかね?」と聞かれ、

「5月からのウェッジを上に放れたので、もう少しドルが上がる様な気がする。」

と返したものの、12円直前から垂れ込めている一目の雲や
フィボナッチ水準の11円60銭と12円25銭を一挙に潰せるとは思えなかった。

11円台は5月下旬に揉んだ水準でもある。

そうした水準では輸出などのヘッジャーが必ずドルを売ってくる。

だが、基本的に下降ウェッジの上放れは買いである。

酔い潰れて週末のニューヨークでドルを買いませなかったこともあり、
少し躊躇った後、20本だけ買うことにした。

「高ちゃん、今どんな感じ?」

パシフィック短資の高橋に聞く。

「少しビッドが出てきた感じです。」

「20本買ってくれ。」

「96です。カウンターパーティーはマディソン東京です。」

「了解。」

‘マディソンが売ったということはニューヨークのロングがまだ残っているのか。

とすれば、この先も東京で11円台後半は無理かも’

「浅沼。客はどんな様子だ?」

コポーレート・デスク(顧客担当デスク)のヘッドに客の動向を聞いた。

コーポレート・デスクの情報も重要である。

浅沼は報告のために自分の傍らまで来てくれた。

自分の席はインターバンク・デスクに置いているが、
コーポレート・デスクもオプション・デスクも自分の管轄下にある。

「朝から輸出筋は11円台後半から12円前半にリーブを置いてきています。

豊中自動車や日の出自動車も11円台後半からは売るみたですね。

メーカーはそんなところでしょうか。

機関投資家は今、様子見だと思います。

商社は、朝方に五井商事がうちで20本、他で20本買っています。

イギリスの総選挙後に売り続けていたポン円(ポンド円)も、
このところ大分買い戻したようです。

菱田物産も同じ様な動きです。

仙崎さんはさっき、ドルを少し買った様ですが、何か根拠は?」

「下降ウェッジを上に放れたこと以外は特に理由はないが、
80程度まではあると思っただけだ。

だめなら、適当なところで倍売るよ。

少し動いてきた様だな。

それじゃ、今日も頑張ってくれ!」

ディーリング・ルームに
‘マイン(mine、買い)、ユアーズ(yours、売り)’
の声が飛び交い出した。

そのタイミングを見計らって、話を終えた。

「了解しました。」

 

週初からドル買いが先行したが、やはり一目の雲の直下で止まってしまった。

火曜日に79を付けたものの、ドルは伸び悩んだ。

ムニューシン米財務長官の
「強いドルには不利な面もある。」
という発言に多少懸念を抱いて、45で50本を売っておいた。

20本は昨日買った20本の利食いに当てた。

残りの30本は8円90銭で作った30本のロングの利食いに当てても良いし、
10円80で下げ止まる様ならそこで利食っても良い。

根っこのポジションがあると、上手く回転が効く。

現在のポジションは
8円90銭のロング30本、
11円45銭のショート30本である。

先のことを考えると、この程度の本数で売買していては不十分だが、
焦っても上手くいかないのは分かっている。

ポジションを捌いているうちに帰国してからの腰の座らない感触が
薄らいできたのが分かる。

 

‘勝負はこれからだな’

週後半に入ると、ドルがじり安の展開となり、
束の間10円95銭へと下落した。

だが、不思議なことに11円割れで買いが入り直ぐに11円台に値を戻す。

手詰まり感が広まるなか、週末の東京は11円台前半で動意がなくなり、
午後3時過ぎになると顧客からの電話も完全に途絶えてしまった。

‘海外もこんな感じかな’と思いながら、
デスクの左手に見える皇居を眺めていると、横に人の気配を感じた。

目をやると、部長の田村が立っている。

「どうだ。少しは落ち着いたか?」

「そうですね。まだ家具も電化製品も買い揃えていないので、
まだまだでしょうか・・・」

立ちながら、答えた。

「でも、ディーリングの方は上手く行ってる様だな。

流石、世界の仙崎か。

随分と東城さんにも可愛がられている様だし、
この本部でのお前の将来は明るいってわけか。」

口元に小さな笑を浮かべているが、
銀縁の眼鏡の向こうには狡猾そうなキツネ目が光る。

文字通り薄気味の悪いやつだ。

東京国際銀行は2002年に住井銀行と日和銀行とが統合して出来た銀行である。

日和出身の田村は俺が住井出身の東城を慕っているのを快く思っていない。

統合後に入社した俺にとって、かつての出身行話はどうでもいいことだが、
依然として上層部にはそれを意識している雰囲気もある。

そしてそれが、下の連中も少なからず影響しているのだ。

「そう首尾よく事が運べば良いのですが。

今うちの状況が悪いのは部長もご存じのハズですが。」

と切り返した。

「俺はもう単なる事務屋だ。金稼ぎはお前等若い連中に任せるよ。」

「そうですか。もうポジションをお取りにならないんですか?」

「お前みたいに優秀なヤツがいちゃ、その気もならんよ。

まあ精々、頑張ってくれ。」

嫌味たっぷりの捨て台詞を言い残すと、踵を返して自席に戻って行った。

部長席には田村のデスクの他に、本部長用のデスクと秘書のデスクがある。

執務室のある東城はその席に着くことはめったにない。

そのため、外部からは田村がディーリング・ルームを仕切っている様に見えるが、
マネーデスクの管理と市場部門の事務責任を負っているに過ぎない。

かつて俺が多額のロスを出した時の外国為替課長が田村だった。

このデスクに異動した直後から頭角を現した俺に、
当時の部長であった東城が何かと目を掛けてくれた。

それを妬んだ田村と彼に組みした部下の二名がある日、俺に罠を仕掛け、
そしてその罠に見事に嵌ってしまった。

そんな振り返りたくもない過去が脳裏を過ったとき、

「課長、国際金融新聞の木村さんからお電話です。」

と部下の斉藤の声が聞こえ、頭を振った。

 

「お久ぶりですね。お元気ですか?」

「お帰りなさい。マーケットが閑散なときを見計らってお電話させて頂きました。

ご活躍のご様子で何よりです。

まだ私的にも公的にもお忙しいでしょうから、
また落ち着いたら夜の席を設けさせて頂きます。」

「ありがとうございます。」

「ところで、来週はどうです?」

「正直言って、少し迷いがあります。

まだ少しドルがビッドだと思うのですが、
11円の後半に行くと売りが出てくるので、
なかなか俄かロングは堪えきれない様ですね。

来週中に80(11円80)を抜けないと、
ドルが振り落とされる様な感じを持っています。

下の80(10円80銭)か上の80(11円80)が抜けると、
少し動意づくといったところでしょうか。

アメリカの5月個人所得・消費支出、
それに5月コアPCEデフレーターの市場予想は悪い様ですが、
注意しておいた方が良いと思います。」

「そうですか。予測レンジもお聞きしていいですか?」

「109円95銭、112円25銭と言ったところでしょうか。

25が抜けたら、12円90銭位はあるかも知れませんね。

その可能性は低いのですが・・・」

「どうもありがとうございます。

それでは近い中にお会いできるのを楽しみしています。」

新聞記者は疎ましいときもあるが、
常識のある記者は場の雰囲気を心得て電話を掛けてくる。

 

木村はそんな一人である。

それから2時間後の6時過ぎ、まだ居残る部下達に今週の労いの言葉をかけてから、
ディーリング・ルームを後にした。

外の空気を思いきり吸うと、人並みの気持ちが甦ってくる。

久々にジャズを聴きながら飲みたい気分である。

タクシーを拾うと、‘246沿いの青山3丁目の真ん中辺りで降ろしてください’
と運転手に告げた。目当ては‘Keith’である。

(つづく)

第2回 「業務命令」

月曜の朝、市場が一段落した後、東城の執務室に向かった。

先週末に帰国祝いの宴を設けてくれた銀座の寿司処‘下田’での約束事である。

ディーリングルームの南側に位置する部屋は市場の動きがつぶさに分かる様にガラス張りだが、
ミーティングのときはブラインドを下ろすのが彼の習慣だ。

ドアをノックし「どうぞ。」の声を待って部屋に入ると、
皇居の森を眺める後ろ姿があった。

東京国際銀行(IBT)本店は大手町交差点を日比谷方面に向かい
ツウーブロック目に位置し、国際金融本部はその14階にある。

1月に53歳になったという東城だが、背筋が伸び、
肩も落ちていない姿からは微塵もその歳が感じられない。

この人を見ていると、本当に自分が小さく見えてならない。

「金曜日はありがとうございました。

久しぶりに東城さんと落ち着いて話ができ、
やっと帰国した気分になれました。」

「そうか、それは良かった。

今週はFOMCが予定されているとあって、
市場は週初から静かだな。

利上げはほぼ確定的なのだろうが、
声明次第では多少のインパクトがあるんだろうな・・・」

「そうですね。直前にCPIの発表もあるので、
それまで様子見でしょうか。

もっとも、CPIの結果に関わらず、
FOMCは声明を変更しないと思います。

このところの経済指標がやや弱いと言っても、
基調としてそれが認められない限り、
今回の声明に‘年内の追加利上げと
バランスシートの縮小’を入れてくるのは間違いありません。」

「ということは、CPIの結果が悪く、俄かにドル売りとなっても、
追いかけるとショートカットの憂き目にあうということか。」

「そうですね。

CPIが予想外に悪く、結果的に8円台(108円台)が拾えれば、
少し買ってみたいと思います。

もっとも、長期の話になると別かと。

なかなかイールド・カーブがスティープニングしてこないので、
マネーの連中もアメリカの実体経済がそれほど強くないと踏んでいる様です。

このままFEDが正常化路線を継続すれば、
景気をオーバーキルしかねません。

ここ数カ月の個人消費や物価指数を見ても、
性急な正常化は無理筋かと思います。

最悪はドルの大きな下げにつながるかも知れません。」

「俺も、お前の見立てが正しいと思う。

ところで、先日言いかけた話だが、先進国の金利がこんな状態なので、
今期はマネー・デスクもこれまでのところ今一つだ。

お前の知ってのとおり、為替の収益も低空飛行が続いている。

昨年も市場部門はバジェット未達に終わっている。

お前には帰国早々で悪いが、9月期の未達は避けたい。どうだ?」

「東城さんがそう言うときは、命令ですよね。」

「お前とは話が早く済んで助かるよ。」

「リミット(限度額)は任せて頂けますか?」

「必要とあれば、自分で判断しろ。

リミット・オーバーは事後報告で良い。後は俺が責任を持つ。

ところで、明日ロンドン支店に行くことになった。

うちがEU内の営業認可をロンドンで取得しているのはお前も知っての通りだ。

ブレグジットが縺れそうな気配なので、
念のために新たな認可拠点を設けておく必要がある。

そのための会議に出席する。俺はフランクで行こうと思うが、お前はどう思う?」

フランクとはドイツの金融の中心都市、フランクフルトのことである。

出張で幾度か行ったことがあるが、
地味でまったく色気のない街という印象だけが頭に残っている。

「あそこにECBの本部がある以上、この先何かと都合が良いかと。」

「分かった。後は頼んだぞ。」という東城の言葉を最後に、
ミーティングは終わった。

 

FOMCの2日目が終了する現地水曜日の朝8時半、
5月のCPIとリテール・セールスが発表される。

東京時間では午後9時半だ。

時刻丁度になったとき、モニターにヘッドラインが走った。

「出ました。」

居残りを頼んでおいた山下の声が広いディーリングルームに響き渡った。

「両方とも悪い数字だな。少し待とう。」

「はい。長期金利も下がっています。」

10円台から急落したドルは30(9円30銭)辺りで下げ止まったが、
11時を過ぎた頃に再び売り気配となり、
やがて12(9円12銭)がギブン(given)*した。

「先週の安値だから、ここはロスカットが出るな。

ニューヨークの沖田を呼んで9円割れで30本*買う様に伝えてくれ。」

尋常でない速度で山下の指がキーボードを叩いた。

「98で20本、97で10本ダン(done、成立)です。」

「そうか。ストップロス・オーダーは全額、8円13銭ギブンで入れておいてくれ。

アカウントの処理は、98の20本が俺の分、97の10本はお前の分で頼む。」

108円13銭は4月17日に付けた中期の重要水準である。

ストップを入れざるを得ない水準だ。

「了解です。」

「とりあえず、下げ止まった様だな。」

「はい。9円台に戻しました。」

「どうしますか。この後。」

もう日付が変わっていた。

「少し疲れたので、今日はこのまま神楽坂に戻るよ。

まだ水曜だし、お前も帰った方が良い。

悪いけど、一応FOMCの後に沖田に連絡を入れてみてくれないか。

声明後に8円台がある様だったら、後30本買っておいてくれ」

「買えたら、リーブはどうしますか?」

「ストップだけ、前のやつと同じレベルで頼む。

利食いは前の20本を9円の80で、後の30本は放って置いてくれ。

お前の10本は自分で処理しろ。今日は急に居残らせて悪かったな。

この埋め合わせは、近いうちにするよ。それじゃ、お先に。」

「お疲れ様でした。」

 

社宅は神楽坂にある。

その方向を考えて日比谷通りを反対側に渡り、タクシーを拾った。

「神楽坂へお願いします。牛込北の交差点近辺で降ろしてください。」

と運転手に告げると、目を瞑った。

疲れのせいか、少し走り出したところで眠ってしまった様である。

「お客さん、着きましたよ。」という運転手の声で起こされ、時計に目をやると、

針は1時を指していた。

何処にも寄らないことにした。

交差点から程ない場所にある社宅に着くと直ぐにシャワーを浴び、
ビールとトーストで腹を満たし終え、そのままベッドに倒れ込んだ。

 

翌朝7時半にディーリングルームに入ると、
部下全員が自分のすべき仕事を進めていた。

ディラーの朝は早い。

「山下、昨晩はありがとう。」

「いいえ。追加の30本、90で出来ています。

それと、20本の利食いもダンです。」

「そうか。まずまずだな。お前の分はどうした?」

「9円の80で利食ってしまいました。」

「利食い千人力だからな。

でも、少し買っておくと良いかもな。今いくらだ?」

「40アラウンド(around)です。」

「20本買ってくれ。」

「40でダンです。」

「そのままキープでしておいてくれ。

これでトータル50本のロングだったな?」

「はい。」

「ところで、今日はこれから、MOF、BOJ、
それと重要顧客のところに挨拶回りに出かける。

終日かかると思うので直帰するが、何かあったら電話をくれ。」

ドル円はその日のニューヨークで110円98銭を付けたが、利食うのを止めた。

普通なら、80辺りで利食っておきたかったが、
東城からの命令を思うと、堪えるしかなかった。

金曜の晩、一昨日の罪滅ぼしで山下を銀座に誘った。

といっても、すずらん通りにあるカウンター・バーである。

「ニューヨークの沖田はもうオフィスにいる頃だな。

少しドル円の様子を聞いてくれないか。」

「11円の40を付けた後、少し上値が重たいそうです。」

スマートフォンを塞ぎながら言う。

「20本、売ってくれ。」

沖田の声が小さく聞こえる。

「25でダンです。」

「ありがとう。週末のポジション調整で、
ニューヨークはもう少し売ってくるハズだ。

稼がなければならないが、念のため、少しギアを落とすことにする。」

「来週はどうでしょうか? 了さん」

「5月からのウェッジを上に放れたので、もう少しドルが上がる様な気がする。

でも、一目の雲が12円手前にあり、フィボナッチも11円の60と12円の25にある。

根っこのロングがあるから、とりあえず週初は様子見かな。

それにしてもラフロイグは旨いな。」

「えっ、薬臭くないんですか。

僕はグレンリベットの方がフルーティーで好きですが。」

「そうか。でも、そのシングルモルトは水割りやロックで飲むもんじゃない。

テイスティング・グラスで飲むと、香が立ってもっと旨いぞ。

ママ、こいつにテイスティング・グラスで同じものをやってくれ。

それにママも、何かどうぞ。」

今日はとことん飲むことにした。


1)given:ある値で売りになった(売られた)ことを言う
2)本:1本は100万ドルを指す

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。

第1回 「帰国祝い」

国際金融本部外国為替課長として帰任してから
2週間が過ぎた6月9日の午後3時過ぎ、
東城から電話が入った。

「どうだ、ポンドは?」

いつもなら「市場はどうだ?」が東城からの電話の第一声だが、
英総選挙で与党保守党が過半数の議席を確保できなかった後だけに、
ポンドの様子が気になったのだろう。

「少し下げ止まった感じで、
 主要通貨に対してややビッド気味でしょうか。

 窓を開けてから売り始めた連中のコストは悪いので、
 ショートカバーでしょうね。」

「そうか。ドル円も少しビッドの様だが、どうだ?」

「ショートカバーでもう少し戻しそうですが、
 先週から11円(111円)台で上値が重たくなっていましたから、
 ニューヨークでもその手前の80~90辺りが一杯じゃないでしょうか。
 
 週末のにわかロングの落としもあるので、
 引けは10円の前半だと思います。
 
 13~14日のFOMCでの利上げは相当に織り込まれているので、
 利上げ決定でも大きなドル買いの
 インセンティヴにはならないと思いますが、
 ドットチャートの読み方次第では多少の上下はあるかもしれません。
 
 ただ、最近の物価関連指標の動向が思わしくないのが気に懸ります。
 そのため、FED内部でもハト派色が強まっている感もあって、
 年後半であと2回の追加利上げは難しいかもしれません。
 
 それに最近、米金利引き上げはドルの下支えにはなっていますが、
 押し上げ効果は薄れているのも事実です。」

「そうか。いずれにしても足下のドルの上値は重いということだな。
 
 ところで、今晩は大丈夫か?
 まだ帰国直後で何かと忙しければ、日を改めても構わない。
 
 ただ、話をしておきたいこともあるので、できれば早い方が良い。」

「いえ、問題ありません。どうせ、社宅に戻るだけですから。」

「一人ものは気楽ってわけだな。何か食いたいものはあるか?」

「下田でも良いですか?
 
 自分のカネではあそこの寿司は食えませんので。」

下田は銀座6丁目にある寿司処である。

カウンター6席と小上がり2卓の小さな構えだが、
寿司が旨いのと店主の客あしらいの良さが気に入っている。

場所が場所だけに決して安くはないが、
帰国祝いだから許されるかと決め込んだ。

「分かった。7時に予約を入れておく。
 
 それじゃ、直接現地で会うことにしよう。」

下田には7時5分前に着いた。

「お帰り、了さん。少し痩せたかい。嫁さんは?」

暖簾をくぐるや否や、店主が少ししゃがれた声を浴びせてきた。

この店に来るのは、昨年の夏に出張してきたとき以来である。

「痩せもしないし、嫁もまだだ。」と少し投げやりに返した。

最近では皆、俺に会うたびに結婚を話題にする。

38歳にもなって適齢期もないもんだが、
自分でも若干の焦りがあるだけに、
あまりしたくはない話だ。

「了さんは背も高いし、見てくれも良い。
 
 それにエリート銀行マンとあっちゃ、モテ過ぎて仕方がない。
 
 だから選択に困るんだろうけど、そろそろ潮時じゃないの。」

「その話はもういいよ、大将。
 
 それより、喉が渇いた。ビールを頼むよ。」

「はいよ。」と言って、
弟子に一番搾りの中ビンを運ぶように指示した。

手酌でビールをグラスに注ぎかけたとき、東城が現れた。

互いのグラスにビールを注ぎ終えたところで、
東城が宴の口火を切った。

「長い間、ご苦労だったな。
 
 席を設けるのが遅くなったが、
 
 お前が少し落ち着いてからと思っていた。
 
 どうだ、久々の東京は?」

「そうですね。東京は銀行の内外共に窮屈ですね。
 
 東京の街は僕にとっては、
 何の魅力もないところに変貌してしまいました。
 
 行内は東城さんからお聞きしていた通り、
 少し人材不足の感があると考えています。
 
 調整して宜しいでしょうか?」

「お前の部署だ。お前のやりやすい様に調整しろ。
 
 東京の街はお前の云う通り、
 金太郎飴の様なモールや震災も恐れない高層ビルの乱立など、
 どうしょうもないな。」

そんな話の後は、旨い寿司と酒を堪能しながら、
ニューヨーク時代の話で盛り上がった。

かつて東城もニューヨークを経験していたため、
現地に関する会話もスムーズで楽しかった。

2時間も話が進んだ頃だろうか、

「本当にお2人は仲がよろしいですね。」

という店主の声で2人の会話は中断した。

その合間に店主が酒の瓶をカウンターに置いた。

酒好きなら垂涎の銘酒、“獺祭 磨き その先へ”だった。

「了さんが戻られたときの祝いにと、手に入れておいた酒です。
 
 ‘いかに困難が予想されても、
 いかに現在が心地良くても、
 この先へ、我に安住の地なし’
 
 が、この酒を仕込んだときの蔵元の心意気だそうです。
 
 了さんにピッタリの酒です。
 
 了さんが留守の間、
 東城さんからはあなたのニューヨークでの活躍ぶりを
 耳にタコができるほど聞かされてきました。
 
 登れるところまで登ってください。
 
 世界経済だの、外国為替だのことは良く分かりませんが、
 この寿司職人も応援していることを忘れないでください。」

涙腺が緩まずにはいられなかった。

「了。仕事の話は来週オフィスでしよう。
 
 今日はおやじと3人でそいつを飲もう。」

黙って頷いた。

(つづく)

この連載は新イーグルフライから抜粋したものです。