第39回 「雪夜のしじま」

土曜日(24日)の夜、山下から‘岬の行方が分からなくなった’との連絡を受けた。

失踪の原因は、夫・坂本が彼女の留守中に母親に預けた封筒だ。
封筒には例の写真が入っていたに違いない。

だが、彼女が向かった先は見当が付いている。
奈川のペンション‘野麦倶楽部’のはずだ。

 

翌日(25日、日曜日)の早朝、四ツ谷にあるトヨタレンタカーでプラドを調達し、ひたすら関越道を走った。

更埴ICで長野道に入ると、少し空腹感を覚えた。
時間は正午になりかけている。
気付けば、朝から何も口にしていなかった。

姨捨SAに立ち寄ることにした。
この辺りまで来ると、晴れた日でもこの時期の長野は流石に寒い。
車を降りると、冷たい空気が肺に沁みる。

関東甲信越では評判の高いSAだけあって、建物の内装や土産物が洗練されている。
だが、今はのんびりと土産物を見てる余裕はない。
レストランにも入らず、サンドイッチとコーヒーを調達し終えると車に戻った。

腹が満たされ、コーヒーで少し体が温まると、シートを倒し込んだ。
昨晩浴びる様に飲んだラフロイグが今頃効いて来たのか、眠気を覚えた。

‘この先の道中のことを考え、少し仮眠を取った方が良い’
アウトドア用の腕時計SUUNTOのALARMを15分後にセットし、目を瞑った。

ALARMに起こされると、直ぐに脳は覚醒した。
就寝中に海外の電話で起こされることの多い為替ディーラーは覚醒するのが速い。

時刻は12時45分、松本ICまでは30分足らずである。
本線に戻るとプラドのアクセルを踏み込んだ。

 

松本ICから右に折れると上高地・奈川方面、左に折れると松本の市街地方面である。
市街でクラフト店を営む岬の母に会っておきたかったが、遠回りになる。
ステアリングを右に切った。

500メートルほど走ると右手にシェルのガスステーションが見える。
車をステーションに入れ、寄って来た店員に‘ハイオク満タン’と告げた。
給油中、店員二人が泥雪で汚れた窓ガラスを拭いてくれている。

岬が‘野麦倶楽部’にいることに確信はあったが、念のためペンションに電話を入れてみた。

電話にはご主人が出た。
ペンションを営む夫妻は仙崎のことをよく知っている。

「仙崎です。
お久しぶりです。
お変わりないですか?」

「ああ、仙崎さん。
去年の夏は釣りにならなくて悪かったね。

この電話は預かり物の件だね?
ちゃんと預かってるから大丈夫だ」
ビンゴである。

「そうですか。
ありがとうございます」

「ところで、今は何処かね?」

「松本インターを出たところです。
保管を宜しくお願いします」

「ああ、預かり物は今家内とダイニングでお茶してるよ。
君が来ることは内緒にしておくけど、それで良いんだな」

「はい、お願いします」

「新島々を過ぎるとカーブが多く、両サイドに雪が積まれてる。
道が普段より狭いから気を付けてな」

「はい、ありがとうございます。
それじゃ、また後ほど」

窓拭きを終えた店員が電話の終わるのを待っている。
寒いのに悪いことをした。
慌てて料金を支払い終えると、車線を跨いで右へとステアリングを切った。

 

ペンションの主人が言っていた様に道の両サイドに雪が積まれている。
新島々を過ぎると、道は少しずつ上りになる。
運転に集中した。
辺りは真っ白な雪景色だが、それを楽しむ余裕はない。

国道158号線、通称野麦街道は梓湖で分岐する。
梓湖を右に折れれば上高地方面へ、左に進めば野麦峠方面へとつながる。
ペンションへは野麦方面に向かう。

ここからはトンネルが幾つかあるため、より慎重にステアリングを操作し、野麦街道を進んだ。
30分も進むと、奈川村の中心部に近づいた。

中心部の手前から迂回の新道が出来ている。
幅員も広い新道を選択し、左へとステアリングを切った。

事故が起きたのはその直後だった。
対向車が雪で滑ったのか、こっちの車線に飛び込んできたのである。

衝突を避けようとステアリングを思いきり左に切ったが、その勢いで車は積み上げられていた雪の中に突っ込んでしまった。
相手の車も、同じ側の積まれた雪の中に突っ込んでいる。

幸いなことに体は何ともなさそうだ。
車から出ると、20代と見られる若者が‘済みません’と言いながら、こっちに近づいてくる。
怒りを覚えたが、冷静に‘大丈夫か?’と相手の体を気遣った。
‘はい、大丈夫です’と言って再び詫びる。

互いの体に問題はなさそうだが、一応事故なので警察を呼んだ。

2台とも車には損傷がある様だ。
こっちのプラドは左側のフェンダーが潰れ、タイヤと干渉している。
このままだと運転は無理だ。

四ツ谷のトヨタレンタカーに電話を入れ、後処理を任せた。
相手も保険会社とJAFに電話を入れて対応している様だ。

20分程でミニパトに乗って現れた警官から事情聴取を受けることになった。
相手のせいであることに納得した警官は、車に戻って良いと言う。

車は動かせないが、ギアをパーキングに入れ、車の中でレッカー車を待った。
車中からペンションのご主人に電話を入れ、事情を説明した。

「やはりそうか。
あまり遅いので、事故にでもあったのかと心配していたところだ」

「そんな訳で、もう少しで一通りの処理は終わります。
申し訳ありませんが、迎えに来て頂けますか?」

「分かった。
そうなると、岬ちゃんに事情を言っておいた方がいいな。
無事だったことだし。
30分ほどでそっちに行く」

 

二人を乗せたフォレスターがペンションに着いたのはもう5時近かった。
午後に入り少し曇って来たせいか、辺りは結構暗くなっている。

ペンションは道路から一段下がったところの傾斜地に建てられている。
「階段滑るから、気を付けてな」とご主人が気遣う。

念のためLLBeanのブーツを履いてきたが、それでも足下が心もとない。
何とか入口まで辿り着くと、ブーツの雪を落としてからドアを押した。

目の前に女性の二人が立っている。
奥さんと岬である。

岬は「了の馬鹿、心配したわ」
と言いながら、涙を隠さなかった。

そんな岬の姿を見た奥さんが二人をダイニングの隅に誘ってくれた。
今日はスキーに来たお客さんも全員チェックアウトした後なので、客は俺と岬だけだと言い残し、キッチンに入って行った。

話を切り出したのは俺の方からだった。
「凡その話は山下から聞いた。
お母さんには居場所は分かってると伝えてある」

「ここしかないものね。
私の来る場所。
着の身着のままで店を出て、直ぐにタクシーに乗ったのはいいけど、肝心の行く先が分からなかった。
運転手さんから‘何処へ’と聞かれて、突然‘奈川’って答えてた」

「そうか、まあ無事で良かったよ」

「ごめんね。
私のせいで、事故まで起こさせてしまって。
少し横になると良いわ。

私、料理の手伝いをしてくるから。
了の部屋は‘シラカバ’だっておばさんが言ってたわ。
夕飯できたら、呼ぶからそれまで寝てて」

 

シャワーを浴び、ベッドに横になると直ぐに睡魔に襲われたらしい。

夢の中で‘お夕食よ’という岬の声を聞いた様な気がした。
目を覚ますと、再び‘お夕食よ’という声が聞こえた。
今度は現実の声である。

気だるい感じを覚えながら、やっとの思いでベッドから這い出た。
社宅から走り尽くめで運転し、最後の最後で事故に会った。
‘疲れるのも無理はないな’

階下のダイニング・ルームに行くと、三人がテーブルを囲んで待っていてくれた。
他の泊り客がいないので、皆で食事と酒を楽しむ。
楽しい時間が過ぎるのは速い。

時間は10時を回っていた。
「それじゃそろそろお開きにするか」
主人がテーブルに両手をつきながら言う。

「私、片づけ手伝ってから行く。
了、‘例のところ’で待ってて」と言って、キッチンに食器を運び出した。
まるで老夫婦の娘の様に甲斐甲斐しく働くのが微笑ましい。

 

‘例のところ’とは、階段を上がった踊り場から奥まったところにある六畳ほどの空間のことだ。
昼間の’例のところ’は窓枠が額縁となり、その中に乗鞍岳が浮き上がる。

夜になると、漆黒の闇に星空が迫る。

かつて二人でここを訪れた初秋の夜、その空間にリクライニング・チェアを並べ、いつまでも数え切れないほどの星を眺めていたのが思い出される。

暫くすると、階段を上がってくる足音が聞こえてきた。
「お待たせ」と言いながら、
サイドテーブルの上にワインボトルとグラスを二つ置いた。
ご夫婦の差し入れだと言う。

雪で埋もれた山あいの夜のしじまは音一つしない。
二人は時折り、グラスに口をつけながら、額縁の中の星空を無言で眺めた。
普通ならば会話も要らないシチュエーションだが、今日はなぜか静けさがたまらなく辛い。

それに耐え切れなくなり、
「封筒の中身は写真だったのか?」
と切り出した。

「ええ、それと妙な文章が」
と言いながら、チノパンの後ろのポケットから折畳んだB5サイズほどの紙を広げて寄こした。

紙片は雑誌のゲラの様である。
それには
‘阿久津志保さん、熱愛中’
のタイトルで―――美人ポートフォリオ・マネージャーとしてニューヨークで活躍する阿久津志保がエリート銀行員と・・・―――。と書かれている。
そして紙片の余白に手書きで『インターナショナル・レディーズ4月号』と書かれている。

「うーん。
なるほどね。
ここまでやるかってとこだな。
それで、岬は何を気にして店を飛び出した?」

「最初は写真に写る男性の後ろ姿が了だったってことかな。
でもそれより、写真やその紙を持って夫が母の店まで訪ねてきてことが恐かったの。
まだ、近くにいる様な気がした」

「阿久津志保は確かにニューヨーク時代の恋人で、俺に就職の相談で帰国していた。
現場の写真はIBTの人間が撮ったものだ。

それが坂本さん、つまり君のご主人に渡ったということだ。
しかし執拗だな、坂本さんも。

このままでは、延々と終わらないな。
岬とご主人の関係、そして俺と彼との関係もな。

そこまではまだしも、無関係の志保にまで・・・」

「ごめんね、了」

「まあ、岬はすべてを忘れた方が良い。
すべて、俺が決着を付ける。
少し手荒いが、構わないか?」

「ええ、私は大丈夫」

「ところで、その月刊誌、発売日はいつだ?」

「月刊誌の発売は第一週のものが多いハズだけど、その月刊誌は分からないわ」

「そうか、まあ良い。
さぁ、ワインでも飲もう」
暫くそのまま星空を見ていた。
岬は志保とのことは何も聞いてこなかった。

すると、
「後で了の部屋に行っても良い?」
と言う。

もはや断る理由は何もなかった。

 

部屋に戻ると、大き目のデイパックからスキットルを取り出し、そこに入っている液体を一飲みした。
ラフロイグである。

ついでにBose のMini Sound Linkを取り出すと、WALKMANとBluetooth接続した。
BGMにBeegie Adairのアルバム ’I’ll take Romance’を流した。

1時間ほどすると、岬が部屋にやってきた。
白のワイシャツにチノパン姿である。

‘そっか、パジャマも持たずに飛び出てきたのか’

デイパックからスウェットを引っ張りだすと、それを岬に渡した。
大分サイズオーバーだが、チノパンを脱いだ姿に似合う。
というか、やけに色っぽい。

「何か聴きたい音楽はあるか?」

「ええ、’fly me to the moon’ が良いわ」

「この部屋からは星空しか見えないけど・・・」

「でも、詩の中に’let me play among the stars‘という箇所もあるわ。
だから、今のシチュエーションよ。
できれば、Nat King Coleのね」

Poets often use many words・・・・・
Nat King Cole の甘く優しい声が流れ出した。

倒れ込む様に胸に飛び込んできた岬をしっかりと受け止めた。

 

月曜日(26日)、銀行には寄らず、社宅に直行した。
志保に電話を入れるためである。

‘あっちは午前2時だが、まぁいいか’

「珍しいわね。
了の方から電話を掛けてくるなんて。
こういう時の了の電話は頼みごとよね」
少し眠そうな声だ。

「図星だ。
早速で悪いが、本題に入らせてくれ。
時間がないんだ。

‘財務省主計局の特別税制課に所属する坂本という男を本省から外してほしい。

『インターナショナル・レディーズ4月号』に志保の記事が掲載される。
帝国ホテルでの志保のハグが原因、というよりその時に撮られた写真が悪用されそうだ。

ゲラを見たが、あまり筋の良くない記事だ。
これもボツにする様に頼んでくれ」
志保の実の父は民亊党の元幹事長である。
彼女の母は彼の妾だった。
まだ永田町では相当な力を持つ人物と聞く。

「分かったわ。
急ぐ様だから、直ぐに電話を掛けてみる。
それと、マイクは本当に良い人ね。
ここでなら、良い仕事ができそう」

「それは良かった。
それじゃ、頼んだぞ」

 

火曜日(27日)、新FRB議長パウエルの議会証言があった。
ややハト派的と見られていたパウエルの発言は予想外にタカ派的なものだった。

発言で市場はドル買いに動いたが、ドル円は107円68銭で止まった。

年初からの抵抗線や先週の高値107円90銭の手前で有象無象の売りが湧く。
当然の市場行動だ。

木曜日(29日)、トランプの「鉄鋼・アルミに対して追加関税を課す」発言が飛び出た。
世界の金融市場が大きく反応した。

株売り・ドル売りが止まらず、金曜日にドル円は直近安値の105円55銭を抜き、105円25銭へと沈んだ。

 

その晩、志保からのメールが入った。
「例の件、問題ないと思う。
母と私を見捨てた負い目があるせいか、パパは何でも私の言うこと聞いてくれるから。

特に本件は私の問題が絡むから、真剣にやると思う。
それじゃ、また」

「ありがとう」とだけ書いて、返信した。

 

土曜日(3日)の晩、国際金融新聞の木村宛てに来週のドル円相場予測を書いた。

木村様

揉み合いを熟してドル急落。

また予測が当ってしまいました。

ここまで来れば、来週も「ドルの下値テスト」で行きましょう。

ただ、一応経験則では節目の105円を叩けば、達成感が出る可能性があります。

予測レンジ:103円50銭~107円50銭

埋め草は適当に

IBT国際金融本部外国為替課長 仙崎了

 

(つづく)